[活水湧出](23)
「幸福とは」(伝道の書6:1〜12、詩篇39:4〜13)
伝道者(コーヘレス)は、4章5章で社会の「虐げ」の現実を批判しました。6章では「幸福か不幸か」をテーマにこの世の空しさを語っています。
「私は日の下に一つの悪のあるのを見た。これは人々の上に重い。」(6:1)この「悪」は、災い、あるいは不幸とも読むことができます。
旧約時代のユダヤ的な幸福感は「富と名誉と長命」であると言われてきました。しかし、私たちの主イエス・キリストは「救い主に出会うこと」と教えてくださいましたから、全く価値観が違いますね。
①「神は、富と財産と誉れとを人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないようにされる。しかし神はその人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空である。」(6:2)これはいかに豊かな人であっても、その財産を持って来世に行くことができないのです。それは誰かに相続されますし、もし戦争が起これば全て奪われてしまうのです。何と空しいことでしょうか?
②「たとえ人は、100人の子を儲け、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、私は言う、流産の子はその人にまさると」(6:3)大家族に恵まれ、長命であっても、争い事に巻き込まれ、あるいは戦争で命を失う時、まともな葬式もしてもらえない場合、そんな人生は生まれないほうがよかったと言っていますね。改めて与えられたもので満足し、感謝して生きることの大切さを思い起こさせられます。
③「人の労苦は皆、その口のためである。しかし、その食欲は満たされない…目に見る事は、欲望のさまよい歩くにませる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。」(6:7〜9)人が働くのは食べていくためだと単純に定義していますね。確かに皆生活のために働いているのです。しかし食欲と同じように決して満足する事はありません。欲望を求めてさまよい歩く姿と言っています。ここでも満足しない、欲望に振り回される人の不幸な姿が描写されています。
④「人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう」(6:12)人生は「短く、つかの間」ですですね。コーヘレスは自分のためではなく、誰かのために善をなすことができるかと自問自答しています。
ヘンリー・ハーレー博士は、「こうして伝道の書は、救い主を待ち望む、人類の叫びを表現したものとなった」と書いています。旧約聖書の時代に物質的豊かさを幸福の標準としていましたが、新約聖書の時代には、イエス・キリストによって神を知ることこそ最高の幸福であると示されています。
私たちクリスチャンにとっては当たり前のようなことではありますが、現実的に今世界を動かしているものは富を得ること、競争に打ち勝つこと、自分の利益を求めることのように見えます。そこには神の救いはありませんし、幸福は存在しないのです。
伝道の書6章と同じような表現が繰り返されているのは詩篇39篇です。
「見よ、あなたは私の日をつかの間とされました。私の一生はあなたの前では無に等しいのです。まことにすべての人は、その盛んな時でも、息に過ぎません。」(詩篇39:5)
そして、詩人ダビデは結論づけています、
「主よ、今私は何を待ち望みましょう。私の望みはあなたにあります。」(39:7)
人生の空しさ、また、社会の頂点に立つような豊かな人が全てを失って、消えていく空しさを見れば見るほど、私たちの幸福は「イエス・キリストを知ること」にあるのだと思わされているのです。
文豪トルストイは「生ける屍」の中で、「神の存在を信じること。人間の幸福はこの一語に尽きる」と言いました。
渡辺和子先生は、「人間にとって、幸せとは、自分が忘れられ、他人のために何かができ、他人に向かって微笑むことができることなのだ」と言いました。
伝道の書6章を読みながら、イエス・キリストによって救われ、導かれている幸いを確認したいと願っております。
神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
小田 彰
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