2026.6.14

[活水湧出](24)

「順境の日には楽しめ」(伝道の書7:1〜14、第一テサロニケ5:12〜22)

 

 伝道の書7章は伝道者コーヘレスの逆説的とも思える真理の箴言集です。しかしそれは、神より与えられた人生という時間を悔いなく、生きたいという彼の祈りではないかと思います。

「死ぬる日は生まるる日にまさる」(1節)

「悲しみは、笑いにまさる。悲しみの家に入るのは、宴会の家に入るのにまさる。」(2.3節)コーヘレスは深くものを考えようとしました。軽薄な宴会の笑い声は、彼の心を傷つけたのです。

さて、今日のテーマは、

「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」(14節)です。

 何か場当たり的な、刹那的な感じがいたします。しかし、彼の心は喜びと悲しみが入り乱れる人生において、常に平常心で淡々と歩んで行きたいという祈りを持っているのではないかと思います。

 キリスト者は泰然自若の心境であるか問われます。どんな出来事の中にあっても、心を乱すことなく平安であり得るかが問われます。「人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとをキリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4:7)とパウロが語った「神の平安」を身に付けているかどうか問われているのです。

「闇も暗くなく、夜も昼のように輝く」(詩篇139:12)

 喜びの日にも、悲しみの日にも、外界に影響されず心の内に光を持っているかと問われます。

 

 私たちは常に頼るべきお方と共に歩んでいるのです。逆境の日には祈ることができます。順境の日には賛美することができます。それは詩篇23篇で、良い羊飼いに導かれている羊たちは常に乏しいことがないと書かれている通りです。

 イエス様と共に歩む日々は、順境の日にも、逆境の日にも変わらない魂の平安が与えられているのです。

パウロは、テサロニケ第一の手紙5章で、私たちのあるべき姿について語っています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」(5:16-18)

 

    宗教改革者マルチン・ルターはたくさんの子供がいましたが、女の子はレナただ一人でした。その最愛の娘は、1542年の秋14歳で天に召されました。ルターは、彼女に天の父のみ許に行く心の準備ができていますかと尋ねました。レナは「神様の御心のままに」と答え、少しも取り出したところがなかったそうです。しかし、ルター自身もまた妻も泣き悲しみ、取り乱しました。しかしルターは祈りの中で平静を取り戻し、妻に語りました「私たちキリスト者は決して嘆いてはなりません。私たちには確かに永遠の生命が与えられているからです。神様がキリストによって、私たちにそれを約束してくださいました」と言ったそうです。

 

 私たちは、逆境の日には祈ることができます。そして、悲しみと不安の涙を拭って、「いつも喜び、いつも祈り、いつも感謝する」ことができるのです。

 伝道者コーヘレスはまだ救い主イエス・キリストにお会いしていませんでした。しかし、私たちは、このような絶対的平安を持ったお方が、イエス・キリストであることを知っています。そして、この方と共に歩むことによって「闇も暗くはなく、夜も昼のように輝く」ことができるのです。

このような深い信仰があなたにも与えられますように。

小田 彰