[活水湧出](6)
「川の中を過ぎるとき」(イザヤ 43:1〜7、詩篇 66:1〜12)
新年の御言葉として、イエスの宣言を私たちへの約束として受け取りました。
「誰でも渇くものは、私のところに来て飲むが良い。私を信じるものは、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」(ヨハネ7:37、38)
関連聖句を学んでおりますが、そのシリーズの最後です。「生ける水が川となる」とありますが、イザヤ書43 章に尊い約束の御言葉がございます。旧約聖書においては、川はしばしば試練の川となります。モーセにとっては紅海が、ヨシュアにとってはヨルダン川が行く手を阻みました。
また、イエスを信じる人々に与えられる聖霊の川は、福音宣教の拡大を意味しますが、そこには迫害の波が押し寄せてきます。しかしイエスから流れ出る生ける水の川は決して災いをもたらさないというお約束です。
イザヤ書43章の背景は、バビロンに捕えられていた捕囚の民は、天の神様から見捨てられたと思っていました。無力な一団はもはや神の愛の内にはないと思っていたのです。そして現代に生きる私たちは、バビロンではないが、悪魔の闇の世の捕虜となっています。真の解放を求めているのです。
しかし次のような素晴らしい御言葉が与えられたのです。
①「恐れるな、私はあなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ、あなたは私のものだ」(1節)
神は私たちを決して見捨てる事は無い。一人ひとりの名前を呼んでくださる。
②「あなたが水の中を過ぎる時、私はあなたと共に居る。川の中を過ぎる時、水はあなたの上に溢れることがない。」(2節)
いかなる試練の日にも、神は助けの御手を延ばしてくださる。
③「あなたは、わが目に尊く、重んぜられるもの、私はあなたを愛するがゆえに、あなたの代わりに人を与え、あなたの命の代わりに民を与える。」(4節)
神はあなたを宝石のように大切に価値ある者と見ている。いかなる代償を払っても救い出してくださるとはなんたる素晴らしい約束ではないでしょうか。
☆事実、バビロンに捕えられていたイスラエル民族は、ペルシャ帝国のクロス王( BC549〜529)の登場によって解放されました。
☆しかし、私たちが闇の世界の罪の奴隷となっている時、神の御子イエス・キリストが十字架上で血潮をながして下さった事によって、その贖いによって救われるのです。
このことについてJ.R.ミラーが深い洞察的な言葉を残しています。
「神は私たちがその試練の場に来るまでは、道を開かれない。だが、私たちが危機に直面する時、御手を伸ばしてくださる。だから、先のことを思い煩ってはならない」
イエスの約束の御言葉に従う私たちは、将来の事について思い煩うことなく、いつでも即座に助けの御手が伸ばされることを確信して進もうではありませんか!
寒さ厳しい季節ではありますが、神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
小田 彰