2025.9.28

「内なる塩」(マルコ 9:38〜50、マタイ 5:13〜16)

 

マルコによる福音書8章後半から十字架への道を歩み始めたイエス様の言葉は次第に厳しいものとなっています。天国人の条件、地獄に落ちないために、たとえ手足を切り落としてもと。「地の塩、世の光」(マタイ5:13)は有名な御言葉ですが、マルコは全く異なる角度から語っています。

 

「人は、すべて火で塩付けられねばならない」(マルコ9:49)

 

一般的に、塩のメッセージは

①腐敗を止める。清める力。

②少量ですが、食べ物の味を出すように、社会の浄化のために役に立つ。

これらは、少数のクリスチャンが社会の腐敗を止め、神の愛と正義を宣べ伝えることに用いられます。

 

③しかし火で塩付けられるとはどういうことでしょうか?

 

マルコがローマでこの福音書をまとめた時代には、ネロ皇帝の大迫害が始まっていました。クリスチャンたちには大きな迫害の波が迫っていました。火で塩付けられるとは、迫害を通して、キリスト者がその影響力を拡大するという意味でしょう。

さらに、一般的に言うならば、試練を通して、キリスト者は成長するとも理解することができるでしょう。

 

パウロの言葉に

「いつも塩で味付けられた、優しい言葉を使いなさい。そうすれば、一人びとりに対して、どう答えるべきかがわかるであろう。」(ガラテヤ4:6)

 

私たちの会話が聖霊に味付けられた塩の役割を果たし、神の国の真理を語り、その言葉によって、人が救いを見出していくようなものでなければなりません。そのようなクリスチャンの群れは、たとえ人数は少なくても、社会を変革していくことでしょう。そして、たとえ迫害の波が押し寄せてきても、人生の試練に遭遇したとしても、塩味の効いた神の御心に沿った人々の群れとなるでしょう。それこそが、神の教会であります。

 

「あなた方自身のうちに、塩を持ちなさい」(50節)

 

御言葉の深い意味が、兄弟姉妹の人生を味わい深いものとすることができますように祈ります。

小田 彰