「パン種について」(マルコ 8:1〜21、第一コリント 5:6〜8)
マルコによる福音書8章1節から、再び7つのパンを祝福して、4000人の人々に食べさせた記事が出て参ります。6章34節から、同様の5000人の人々に給食したイエスの奇跡があります。この2つの出来事が、実は同一の出来事であったという議論もありますが、聖書をそのまま神の摂理の言葉として受け取ることの方が良いと思われます。
三日間も食事をせずに、イエス様の御言葉に聞き入っていた人々のことを哀れみ、7つのパンを祝福して人々に与えたと書かれています。それはイエスの思いやりと同情と愛であって、パンを与えることが人の幸せだと言っているのではありません。
「人が生きるのは、パンのみによるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」(マタイ4:4)とイエスは既に言われている通りです。
さて、この出来事の後、再び船に乗ってガリラヤ湖をわたりました。
今日のテーマはここでの会話です。
イエスは彼らを戒めて「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とをよくよく警戒せよ」と言われた。(マルコ8:15)
聖書の時代では、パン種は十分発酵した古い練り粉の1部を次回のパンのために残しておくものを指しました。
新約聖書では
①悪いパン種は、偽善、誤った教え、自己中心的権主義などを指します。そしてどちらかというと悪い例として使われています。
②良いパン種は、福音の言葉、神の国を指します。マタイ13:33、ルカ13:21 に2回だけ用いられています。
パリサイ人のパン種は偽善者であり、律法主義者であって、福音を知らない人を意味しています。
イエスを陥れようとするために、本来敵対関係にあったヘロデとパリサイ人たちが結託した事は驚くべきことです。イエスを断罪しようとするうねりは、ますます膨れ上がって、ついに彼を十字架で殺してしまうことになるのです。
さて、現代における「パン種」とは何でしょうか?
①動機の罪、内心の悪意
②言葉による噂の拡散
誹謗中傷
③戦争における煽動
最近の国際情勢において、あるいは国内における選挙運動などにおいて、誠にこのようなことがしばしば見られるのは悲しいことです。
終戦記念日を中心に戦争についての多くのニュースが流されています。私の心を最も強く打ったのは、沖縄戦における軍官民の総自決への煽動でした。太平洋戦争末期、軍部は誰も逃れることのできない民族総自決への道を歩ませようとしました。まさに悪いパン種が不幸の歴史を膨らませて行ったのです。
私たちはクリスチャンとして、言葉によって誹謗中傷することなく、和解と平和の道を宣べ伝える言葉を膨らませていきたいと願います。
聖パウロは言いました、
「新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。私たちの過越の小羊であるキリストは既に屠られたのだ」(第一コリント5:7)。
イエス・キリストの十字架を心に刻んで語るものとなりましょう。
小田 彰