「さらに高い信仰」(ヤコブ 1:1〜8、ローマ 4:16〜22)
今年はマルコによる福音書を学んで参りましたが、11章に入りますと、イエスのエルサレム入城と最後の1週間、すなわち受難週に入るのです。そこでマルコの学びは一旦終わり、クリスマスの準備に入ります。
「クリスマスを待ち望む心」をテーマにヤコブの手紙を学んで参りましょう。神の栄光のみ座を捨てて降り、ベツレヘムの飼い葉桶の中に誕生してくださったお方は、孤独と涙と汗とをもって祈られ、ついにゴルゴタの十字架上で死なれました。この方をどのような心でお迎えしたら良いのでしょうか。
さらに高い信仰とは、試練をも喜ぶ信仰の姿です。「信仰」はギリシャ語でピスティスですが、新約聖書においては、イエス・キリストにあって、「神を信じる信仰」と定義されています。ただ信じているというのではなく、信じた者にふさわしい行動が伴っているかが問われています。
イエスの両親マリアとヨセフは、人類の救い主を宿すという重い試練を耐え抜かなければなりませんでした。彼らを乗せたロバの背には、人類の救いという重荷がずっしりと乗っておりました。
「私の兄弟たちよ。あなた方が、いろいろな試練にあった場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたが知っている通り、信仰が試されることによって、忍耐が生み出されるからである。」
(ヤコブ1:2)
著者のヤコブが誰であったかについては今日までわかっていません。イエスの12弟子の1人、ゼベダの子ヤコブは早く殉教しました。イエスの弟ヤコブは、初めは兄を信じることはできませんでしたが、復活のイエスに出会ったことによって、肉親としてではなく神の御子メシアとして受け入れました。その人格は優れていて、祈り深く、初代教会の重要な柱となりました。そしてついには殉教したのです。彼がこのヤコブの手紙の著者であるという説はありますが、あまりにも素晴らしいギリシャ語文体であることを思うと、彼の弟子が後に書いたものではないかと言われています。
しかし、試練と迫害の時代に、大切なメッセージを残し、全世界に散っているすべてのキリスト者への慰めの言葉を残しました。
「さらに高い信仰」とは、
① 試練を通して試される
②「試練をも喜ぶ信仰」こそキリストの僕にふさわしい
③「疑わない信仰」が求められています。それによって忍耐が生み出されるからです。
「ただ疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに、揺れ動く、海の波に似ている」(ヤコブ1:6)
クリスマスの大事業を背負ったマリアとヨセフは、このゆるぎない信仰という賜物の故に選ばれたのでしょう。
さてたびたび引用させていただいている渡辺和子先生は、2016年12月30日に89歳で天に召される10日前にまとめた原稿の中に、次のような言葉が残されています。
学歴や職歴よりも大切なのは
「苦歴」です。苦歴はその人だけのものであり、その人を最もよく語るものであります。文字に表すことのできない苦しみの一つ一つは、乗り越えることによって、その人のかけがえのない業績となるのです。
ヤコブは試練を通して鍛えられた信仰こそ、あらゆる条件の変化の中で忍耐し、信頼し、希望を持ち続けることができる尊い宝物であると述べています。それは実にイエス・キリストがその生涯を通して私たちに教えてくださった生き様なのではないでしょうか。
主が御言葉をもって、兄弟姉妹の信仰を引き上げてくださるようにお祈りいたします。
小田彰