2024.3.10

「神の霊感の書」

(第二 テモテ 3章10〜17節、ルカ 7章1〜10節)

 

私が今年年頭からテモテ第二の手紙を取り上げた理由は、伝道者パウロの殉教前における最後の手紙だったからです。ある意味で遺言書ということもできるでしょう。若き後継者テモテに大事なことを書き残しているのです。そして、それはまた2000年経った私たちに対する大伝道者の遺言でもあります。

「一体、キリスト・イエスにあって、信心深く生きようとするものは、皆迫害を受ける。」(3:12)

 

教会が遭遇する困難な問題に対して、知恵を与えるような小手先の助言ではなく、ここで「迫害を覚悟せよ」と言うメッセージなのですね。

お互いにクリスチャンになって救いの恵みを受け、日々神の御言葉に導かれ、困難なときには祈り、その答えをいただき、生きて参りました。それは実に幸いなことです。しかし、信仰を持って生き抜くということは、試練や苦難の連続ではなかったでしょうか。もちろん、人生とは、重い荷物を背負いながら、歩く旅人のようだと言った徳川家康を思い出しますが、単なる一般論ではなく、信仰の筋を通していくことの難しさを経験したのではないでしょうか。

 

そこでパウロは、自分が去った後も、「聖書の御言葉に聞け」と遺言しています。ここで聖書について三つのことを語っています。

①聖書は全て神の霊感を受けて書かれたものである。

②クリスチャンとして正しい知識を教え、また誤りを是正し、救いに導く力があります。

③その効果は、神に仕えようとするものを完全に準備し整えるものです。

 

テモテに単なる経験や知識を持って議論するのではなく、「聖書の言葉に生きよ」と伝えています。

 

ルカによる福音書7章1節から10節で、カペナウムでローマの百卒長の家来が重病になり、イエスのもとに助けを求めた時、早く来て祈ってくださいと求める代わりに、「ただお言葉をください。そうして、私の僕をなおしてください。」(7:7)と言ったのです。イエスはその信仰の言葉に非常に驚嘆して、「このような信仰はイスラエルの内にも見たことがない」と言いました。

 

私たちの祈りの生活においても、ただ一般的に聖書を読んでいると言うだけではなく、ある御言葉が「神の言葉」として、心にストンと入ってくる時、そこに変化が起き、奇跡が起き、勝利を見出すことができるのです。まさに御言葉信仰です。書かれた活字の中から、光輝く個人的に与えられる神の言葉をいただくまで、祈り通すことが祈ることの意味ですね。

 

ただいま、アメリカの大統領選挙の真っ只中ですが、第16代大統領、アブラハム・リンカーンは、大統領に就任した時「今日、私があるのは母の遺言のおかげです」と言ったそうです。彼が10歳の時、母が死の時を迎えていましたが、アブラハムに枕辺で言いました、「お前が100万エーカーの大地主になるよりも、聖書をよく読み、御言葉に生きる人になってください。それが母の祈りです」と。

 

私たちも殉教者パウロの声に耳を傾けましょう。「聖書に生きよ」、そしてあらゆる問題に対して、聖書の御言葉によって解決を得、御言葉によって勝利し、その御言葉を宣べ伝えましょう。

小田 彰