2024.1.28

テーマ「オネシポロの家」

聖書 第二テモテ 1章15〜18節、マタイ10章34〜42節

     

今日は少しアングルを変えて「迫害の時代に福音宣教を支えたオネシポロという人」について学んでみましょう。

 

ローマの獄中にあったパウロは、若き弟子のテモテに、激励の言葉といくつかの連絡事項を語っています。その中に忠実な信徒であり、パウロにとって大きな慰めの人であったオネシポロの家族について触れています。

 

「どうか、主がオネシポロの家に哀れみを垂れてくださるように。彼は度々私を慰めてくれ、また私の鎖を恥とも思わないで、ローマに着いたときには熱心に私を探し回った末、尋ね出してくれたのである。どうか、主がかの日に哀れみを彼に賜るように。」( 1:16 〜18)

 

オネシポロとはどんな人であったか?

①ローマ帝国下アジア州の首都エペソ(エフェソス)でのパウロの伝道によってできたエペソ教会を支えた人。教会の成長とともにパウロに異を唱える人々が離れていく中で、離れず支えとなり、教会の砦となった人。現在はテモテがその教会の牧師である。

②パウロに導かれ、迫害の中にあっても、信仰を守り続け、彼を慰め(元気付け)、仕事のための旅行であったかは不明であるが、エペソから直線距離でも1500キロ以上離れているローマの牢獄にまで尋ねて行った。

③「鎖を恥とも思わないで」厳しい時代に恩師パウロを慰めようとした。ここにオネシポロの個人名ではなく「家」となっているので、彼は既に死んだか、あるいは牢獄の中にいるか、今は見えなくなっていて、その家族に対して感謝を述べているように思われる。

④オネシポロは「利益を運ぶもの」という意味だと言われますが、少なからず、その財産を教会のために捧げ、遠くパウロのために生活支援をしたと思われる。

 

このような隠れた人がいたからこそ、今日聖書記者パウロが存在していたのです。今年の標語は「たとい私たちが不真実であっても、彼は常に真実である」(第二エモテ2:13)から、「主之真実」といたしました。イエス・キリストは死に至るまで、私たちに対して真実の愛を示してくださいました。今2000年前、一人の伝道者、パウロを支える真実の弟子がいたことに驚かされます。

キリスト者の道は、分断と戦いの道です。それは十字架の道であり、真理に従って忠実な道です。

 

主イエスは言われました。

「また、自分の十字架をとって、私に従ってこないものは私にふさわしくない。自分の命を得ているものはそれを失い、私のために自分の命を失っているものは、それを得るであろう。………

私の弟子であるという名のゆえに、この小さいものの一人に、冷たい水いっぱいでも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれる事は無い。」(マタイ10:38〜39、42)

聖書が語る福音が全世界に広がっていくために、あらゆる犠牲を顧みず「1杯の水」の奉仕をした人々がいたことを忘れてはなりません。 そしてあなたも温かい奉仕の手を差し伸べる一人となっていただきたいのです。

 

永遠にその名が記録される天国の歴史書の1ページに残る祝福がありますようにお祈りいたします。

小田 彰