2023.2.19

「荒野花咲」

テーマ「穏やかに信頼せよ

聖書 イザヤ 30章15〜18節、マタイ 6章25〜34節

 

今日のテキストは、シリア・エフライム戦争において、ユダの政治家がイザヤの進言を聞き入れず、エジプトの武力に頼ろうとした時語られた言葉です。背景を知らなくても、この言葉は、私たちの人生に役立つ大切なキーワードです。

 

主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなた方は立ち返って、落ち着いているならば、救われ、穏やかにして信頼しているならば、力を得る」。(イザヤ30: 15)

 

最も新しく出版された聖書協会共同訳によれば、「静かにして信頼していることにこそ、あなた方の力がある」

と翻訳されています。

 

ダビデ王の時代に最強最大の国家を誇こったイスラエルは、南北に分割されていました。北王国イスラエルで最も力を持っていた部族はエフライムでした。今エフライムが隣のシリアと同盟を組んで、南のユダを攻めようとしているのです。さらに北方からはアッシリアの大軍が迫っています。ユダの預言者イザヤは、狼狽している指導者たちに対して「落ち着きなさい。神を信頼しなさい。人を頼ってはいけません」と語るのです。

 

たとえ信仰を持っていると言いながらも、私たちは現実問題にぶつかると狼狽するものです。そして、落ち着きを失い、いろいろな人に相談し、いろいろな意見を聞き入れながら、かえって混乱するものです。今、ここで静まって、自分を見ずに神を見上げることを学ばねばなりません。

 

この御言葉は単純に4つのことを教えています。

①立ち返ること。現実問題としてエジプトに長いラクダの行列が向かっていました。多くの財宝を積んで援軍を求める行列でした。イザヤは立ち返りなさいと言いました。戻って来なさいと言うのです。私たちも現実の様々な問題の中で、判断を誤った時には、間違ったと思う原点に速やかに立ち返って祈るべきです。

②落ち着くこと。心が狼狽しているときには、右や左を見てしまいます。心が落ち込んで地面に目が向かってしまいます。しかし、神を見上げることです。「静まって、私こそ神であることを知れ」(詩篇46: 10)という御声を聞くことができる人は幸いです。

③穏やかに。本来の意味は「静かにして」in quietnessですね。信仰が揺らいだときには、つい多くのことを話してしまうものです。まず静寂ですね。

④神を信頼すべきこと。英語の聖書にはin confidenceと書かれています。確信を持ってということです。

 

そこにこそ私たちの力の源があるのです。

 

さて、イエス様も、私たちに「思い煩うな」とお語りになりました。2700年前の戦争の最中の問題ではなく、日常生活の衣食住の事について教えてくださいました。

「それだから、あなた方に言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思い煩い、何を着ようかと、自分の体のことで思い煩うな。命は、食物にまさり、体は着物にまさるではないか。」(マタイ6: 25)

「だから、明日のことを思い煩うない。明日の事は、明日自身が思い煩うであろう」(6: 34)

 

☆神の恵みに対して信頼がないことが思い煩いの原因です。真に神を知るには、内なる静穏が必要です。静かに座する事は怠惰ではありません。それは信頼から生ずる生ける静けさです。

 

1968年4月5日に銃弾に倒れた、マルティン・ルーサー・キング牧師の最後の言葉を読んで驚きました。死の前日の説教です。「我々の前途は多難であるが、それは今私には本当に問題ではない。ただ私は神の御旨をなそうと望んでいるだけである。私は何者も恐れない。私の目は既に主の来臨の輝きを見たからである」。

まことに力強いしかし静かな信仰者の証です。あなたの今週の歩みが、あらゆる思い煩いから解放され、神の前に静寂の中に座する信仰が与えられますようにお祈りいたします。

小田 彰