2023.10.8

「荒野花咲」

テーマ「祈りの家」

聖書 イザヤ56章4〜8、マルコ 1115〜18節

 

イザヤ書56章からのテーマは「神は天地の創造者であり、全世界の主である」という全人類のための救いのメッセージです。

神との交わりを保ち、その祝福を受けるために「安息日を守るべきこと」

「祈りの家に属すること」についてイザヤは悔い改めを求めています。舞台はバビロンからエルサレムに移っています。荒れすさんだ神殿の再建と共に、民衆の信仰生活の確立を願っています。

今日私たちが聖書を読むとき、そこには神殿も大聖堂もありません。しかし、私たちの前には壮大なスケールの神の存在があります。大自然の中にも、また歴史の中に、日々の生活の中にもそのお方がおられます。どのように交わりを持ち、どのように祝福を受けたらよいのでしょうか。

 

「また、主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、全て安息日を守って、これを汚さず、我が契約を堅く守る異邦人は、私はこれをわが聖なる山に来させ、我が祈りの家のうちで楽しませる。

わが家は、すべての民の祈りの家と唱えられるからである。」(イザヤ56:6、7)

①主に連なり(かつてイスラエルから追放されてしまったような人たちであっても、もう一度つながりましょう。)

②主に仕え(日々、主に仕えることを生活の優先順位の第一におくことです。)

③主の名を愛し、その僕となり。(神を愛する事は、信仰の基本です。義務ではなく、奴隷のようにではなく、愛情をもってお従いするのです)

④安息日を守って、これを汚さず(聖日礼拝厳守、その日にふさわしく行動すべきこと)

⑤契約を守る人(イザヤ書には契約が繰り返し語られています。私たちの信仰生活は神との契約の中にあります。)

 

これらの御言葉は異邦人に対する恵みの約束です。日本人である私たちはイスラエルの人々から見るなら異邦人です。何人であっても、この5つの条件を満たすならば、エルサレムの神殿すなわち「祈りの家」における交わりに漏れる事はありません。

 

さて、イエス様は、エルサレムにきて、神殿を訪問したときに、そこで商売している人々を見て大変お怒りになりました。世界中から礼拝するために集まってきた人々の両替や、犠牲として捧げる鳩を売り買いする人々を見て言われました。

「私の家は、すべての国民の祈りの家と唱えられるべきであると書いてあるではないか。それなのに、あなた方はそれを強盗の巣にしてしまった」(マルコ11:17)

イエス様には、壮大な神殿の建物も、何万人も集まっている人々も目に入りませんでした。そこで行われている偽善者の悪だけが見えたのです。イエス様は真の信仰をそこで見たかったのです。そこでイザヤ書56章7節を引用されたわけです。

バビロンからの解放よりも、さらに重要な事は真の信仰を持って祈る人たちの群れができるかという事ですね。

 

私たちが神の「祈りの家の住人」であることを確認いたしましょう。どんなことも祈りによって解決し、祈りによって乗り越えていく人たちなのです。祈りの声を神は最も喜んでくださるでしょう。

イエス様はさらに、祈りの本質について次のように語ってくださいました。

 

「神を信じなさい。よく聞いておくが良い。誰でもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言った事は必ず成ると、心に疑わないで、信じるなら、その通りに成るであろう。そこで、あなた方に言うが、何でも祈り求める事は、すでに叶えられたと信じなさい。そうすればその通りになるであろう。」(マルコ11: 22 -24)

 

信仰の祈りが問われています。私たちの生活のあらゆる問題において、信じて願い求め、聞いていただきましょう。昔の人はよく「得たりと信ぜよ、然らば得べし」と言いました。まさにこの言葉を体得したいものです。

 

今週も祈りの家の一員としてあらゆることにおいて、祈り求め、神との交わりを深めましょう。これは最も人間にとって幸せな経験です。

祝福をお祈りしています。

小田 彰