2023.10.1

「荒野花咲」

テーマ「ミルトスの木」

聖書 イザヤ 55章8〜13節、第二コリント 5章16〜19節

 

第二イザヤ40〜55章の締めくくりとして、神の御業の記念樹のようにミルトスの木が語られています。

「いとすぎは、いばらに代わって生え、ミルトスはおどろに代わって生える。これは主の記念となり、またとこしえのしるしとなって、絶える事はない」(イザヤ55:13)

その前に、

「このように、わが口から出る言葉も、虚しく私に帰らない」(55:11)

と書かれています。

 

神と人とをつなぐものは「神の口から出る言葉」です。それはさばきではなく、赦しの言葉です。人を滅ぼす言葉ではなく、救う言葉です。神の言葉は、ただ神の思いの表現にとどまらない。それを実現していく力をその言葉の中に含んでいます。

今イスラエル民族が約半世紀にわたるバビロンにおいての労苦、屈辱は終わろうとしています。彼らは新しいイスラエル人として今一度再出発すべき日が迫っています。ここに新しい時代が始まり、新しい世界が造られようとしています。しかしこの言葉は、単にバビロンから脱出するイスラエル民族の話をしているのではなく、人類全体に及ぶ新しい時代の預言をしているのです。

 

それは、人間の救いの喜びであるとともに、自然界の変化をも伴うものです。その新たにする力は実に神の御言葉です。

「オドロ」は大地にへばりつく雑草ですが、それが「ミルトスの木」に変わるのです。私たちの心の中に起こる変化のように、社会が変わり、世界が変わる約束なのです。

 

ミルトスは芳香を放つ常緑の灌木ですが、「祝いの木」と言われます。黄色いおしべが目立つ花をつけた後、青黒色の実を結びます。それは鎮痛剤として用いられました。この花は良いことやめでたいことがあるときに、装飾として用いられます。イスラエルにおいては特別の木なのです。

私たちにとっては、ゴルゴタの丘の上に立てられたキリストの十字架ではないでしょうか。十字架のシンボルこそ「祝いの木」なのです。

キリストにあって、我々は罪が赦されるだけではなく、新しい命が分与され、神の性質に似たものと造り変えられるのです。それは聖霊の働きです。

 

今日のテキストをどのように語るべきか長時間思案しました。しかし、F.Bマイヤー師が「新生の実」と題して既に解き明かしていたのです。

①人格の中になされる神の御業

②家庭と人間関係の中になされる神の御業

③試練の日になされる神の御業

 

心がすさみ切って、人生を絶望の中に過ごしていた人が、造り変えられて、愛の人、福音を語る人になった多くの証を持っています。争いと憎しみの人間関係が、信頼と建設的な関係に変えられた多くの証を持っています。聞くに耐えないような試練の中にあって、忍耐強く祈り深く希望を絶やすことなく、生き抜いた人たちの証をたくさん持っています。まさに

「いとすぎは、いばらに代わって生え、ミルトスの木はおどろに代わって生える」との約束の成就なのです。

 

神の御言葉は2600年前にバビロンにおいて語られたと同じように、今日私たちの人生と生活の中に実現するのです。この御言葉があなたの信仰を強め、あらゆる困難の中においても、力強い実現の力として、神の御業を成し遂げてくださるように祈るものです。

祝福が豊かにありますように。

小田 彰