2023.1.15

「荒野花咲」

テーマ「その名はインマヌエル」

聖書 イザヤ 7章14〜17節、8章5〜22節、マタイ1章23節

 

「見よ、おとめがみごもって、男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。

これは、「神われらと共にいます」という意味である。(マタイ1:23)

 

新年に際し「インマヌエル」という言葉を心に刻みましょう。

上の聖句は、イエスの父ヨセフに対する天使の約束の言葉です。生まれてくる男の子は、平和と救いのしるしであるとの約束です。ヘブライ語では、インマヌーは「共に」、エルは「神」であって「神共にいます」という意味です。

 

しかし、この言葉はイザヤ書の7章8章の預言の言葉なのです。

シリヤ・エフライム連合軍がユダを攻めようとしていた時のことです。

北には最強の敵アッシリアが迫っていました。

ダビデ王によって、最も栄えたイスラエルは、北王国と南王国に分裂していました。北王国を代表する名前がエフライムであり、南王国を代表する名前がユダです。

エフライムは、ヤコブの12人の息子の中にはいませんでしたが、エジプトで宰相となったヨセフの息子であり、カナンを平定したヨシュアの家系でした。

エフライムの10部族は、平坦で肥沃な北側の土地を獲得し、ユダの2部族は南側の山地を与えられました。

兄弟民族でありましたが、様々な面で相争うことになります。ウクライナとロシア、北朝鮮と韓国のような同一民族の争いでした。

エフライムは、隣国シリアと提携し、兄弟国であるユダを攻めようとしたのです。

その時、預言者イザヤは、アハズ王に対して、動揺せず、神を信頼することを勧めます。そのしるしとして、「1人の男の子が誕生する」という約束を伝えます。そしてその結果、北王国の攻撃を受けることなく守られるのです。

しかし、聖書にはアハズ王の何と言う名の妃であるか、あるいはどんな子が生まれたか記録していません。

まことに不思議な言葉です。

しかしそれは700年後に誕生するイエス・キリストを預言していたのです。

 

外敵に攻撃されて滅ぼされてしまうかもしれないという恐怖の最中に、彼が持たなければならなかった信仰は、「神が共にいて下さるかどうか」という確信でした。

人の助けを頼む前に、神に信頼し、祈り求め、その結果、ジタバタしない。そのような生き方を私たちは求められています。

神が共にいて下さるかどうかと言う前に、私たちが神と共に歩いているかということが問われています。

また、すべての助けを神ご自身に求めているのでしょうか。

「あなたの他に頼るべきお方はありません」と大胆に宣言して祈るべきです。

 

結果的に、北王国イスラエルも、隣国シリアもBC732年に滅びてしまいます。

「インマヌエルよ。その広げた翼ははあまねく、あなたの国に満ちわたる。…神がわれらと共におられるからである。」(イザヤ8:8、10)

この約束のように、ダビデの家系から、イエス・キリストが誕生することになります。

その翼は広がって、全世界を覆い、日本の私たちにまで恵みが注がれているのです。

 

この世にあって、いかなる困難にぶつかっても「インマヌエル、神われらと共にいます」と証できる人は幸いです。

宗教改革者、ジョンウェスレーは「私たちにとって最も幸いな事は神が共にいて下さることです」と言いました。

主があなたと共にいて下さいますように。

小田 彰