2022.8.7

「信望愛主」

テーマ「エノクの昇天」

聖書 ヘブル 11章5〜6節、創世記 5章21〜24節

  

「さて、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(11:1)から「信仰とは何か」という大きなテーマで学び始めています。

ヘブル人の手紙11章、今日は先週のアベルに続いて二人目、エノクの信仰について学びます。しかしこの人物が大変重要な人物であるらしい事はわかってきました。

「信仰によって、エノクは死を見ないように天にに移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれたものと、証しされていたからである。」(11:5)

聖書全体の中で昇天した人は、エノクとエリヤとイエス・キリストだけです。エリヤは偉大な預言者でしたが大変多くの葛藤と信仰の戦いの中で職務を全うしました。イエス・キリストは特別な存在でしたが、十字架上で死に復活して、40日後に昇天しました。

しかしエノクは、何の記録もありませんが、「神に喜ばれた者として天に移された」と書かれています。また創世記には

「エノクは神と共に歩み、神が彼をとられたので、いなくなった」(創世記5:24)と記録されているのです。

「神と共に歩んだ」という事は、一瞬たりとも神への信頼を失った事はなく、常に神と一体であったと言うことです。

そうだとすると、聖書の歴史の中でたったひとり地上を歩みながら、天上の恵みの中に生きた人と言うことができます。その意味で、エノクを語る事は恐れ多いことだということに気づきました。

 

☆エノクという名前は「従うもの」「従順」という意味です。彼は

 ①神と共に歩んだ人でした。生涯を通して迷いなく神を愛し、神に愛され、神に認められた聖徒でした。

 ②実際は彼の歩みを妨げた多くの困難があったはずです。次回は「ノア」ですが、その時代は悪がはびこり、欲望と動物的な野心が渦巻く時代でした。ですから神は洪水をまもって滅ぼしたのです。当然エノクに対して信仰を揺さぶる迫害がありました。もしかしたら肉体的な迫害もあったかもしれません。また言葉に表せない人生の苦悩が誰から見てもあったかもしれません。にもかかわらず彼の信仰はぶれることがなかったのです。誰が見ても「神に喜ばれる人」と証されていたのです。

 ③創世記五章のアダムの系図を見ると、アダムは930歳、その他の子孫たちも900歳以上なのです。にもかかわらず神に愛されたエノクは、365歳で天に召されています。私の憶測ですが、その時代の迫害の中で、彼はあまりにも純粋に信仰を貫きました。そこで神は彼を天に引き上げられたのではないかと思っています。

 ④聖書に記録されている出来事と人物は、常識を超えた苦難の中で神と共に歩いた人たちの記録です。

 

☆「信仰がなくては、神に喜ばれることができない。なぜなら、神に来るものは、神のいますこととご自身を求める者に報いてくださることを、必ず信じるはずだからである」(11:6)

ここに真の信仰が定義されています。

 ①人生のすべてのことにおいてどこまでも神に依存して生きること。

 ②すべての問題課題において、神は奇跡をもって答え、必ず報いてくださる事を信じること。

 

さてこの短いエノクの記録の中に、彼が苦しみもがいて信仰を貫いたような雰囲気がありません。多分彼は神と共に歩む日々を楽しんでいたのでしょう。どんな困難な時にも、神は奇想天外な方法で祝福を与えてくださると信じ抜いていたのでしょう。

「あなたは命の道を私に示される。あなたの前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに諸々の楽しみがある」(詩篇16:11)

これはダビデの詩ですが、神と共に歩むことをとことん楽しむ人生こそ、エノクが私たちに示してくださっている生き方であると思うのです。(聖歌588)

今週も主と共に歩む日々を大いにエンジョイいたしましょう。ハレルヤ。

小田 彰

 

 

 

 

「信望愛主」

テーマ「エノクの昇天」

聖書 ヘブル 11章5〜6節、創世記 5章21〜24節

  

「さて、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(11:1)から「信仰とは何か」という大きなテーマで学び始めています。

ヘブル人の手紙11章、今日は先週のアベルに続いて二人目、エノクの信仰について学びます。しかしこの人物が大変重要な人物であるらしい事はわかってきました。

「信仰によって、エノクは死を見ないように天にに移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれたものと、証しされていたからである。」(11:5)

聖書全体の中で昇天した人は、エノクとエリヤとイエス・キリストだけです。エリヤは偉大な預言者でしたが大変多くの葛藤と信仰の戦いの中で職務を全うしました。イエス・キリストは特別な存在でしたが、十字架上で死に復活して、40日後に昇天しました。

しかしエノクは、何の記録もありませんが、「神に喜ばれた者として天に移された」と書かれています。また創世記には

「エノクは神と共に歩み、神が彼をとられたので、いなくなった」(創世記5:24)と記録されているのです。

「神と共に歩んだ」という事は、一瞬たりとも神への信頼を失った事はなく、常に神と一体であったと言うことです。

そうだとすると、聖書の歴史の中でたったひとり地上を歩みながら、天上の恵みの中に生きた人と言うことができます。その意味で、エノクを語る事は恐れ多いことだということに気づきました。

 

☆エノクという名前は「従うもの」「従順」という意味です。彼は

 ①神と共に歩んだ人でした。生涯を通して迷いなく神を愛し、神に愛され、神に認められた聖徒でした。

 ②実際は彼の歩みを妨げた多くの困難があったはずです。次回は「ノア」ですが、その時代は悪がはびこり、欲望と動物的な野心が渦巻く時代でした。ですから神は洪水をまもって滅ぼしたのです。当然エノクに対して信仰を揺さぶる迫害がありました。もしかしたら肉体的な迫害もあったかもしれません。また言葉に表せない人生の苦悩が誰から見てもあったかもしれません。にもかかわらず彼の信仰はぶれることがなかったのです。誰が見ても「神に喜ばれる人」と証されていたのです。

 ③創世記五章のアダムの系図を見ると、アダムは930歳、その他の子孫たちも900歳以上なのです。にもかかわらず神に愛されたエノクは、365歳で天に召されています。私の憶測ですが、その時代の迫害の中で、彼はあまりにも純粋に信仰を貫きました。そこで神は彼を天に引き上げられたのではないかと思っています。

 ④聖書に記録されている出来事と人物は、常識を超えた苦難の中で神と共に歩いた人たちの記録です。

 

☆「信仰がなくては、神に喜ばれることができない。なぜなら、神に来るものは、神のいますこととご自身を求める者に報いてくださることを、必ず信じるはずだからである」(11:6)

ここに真の信仰が定義されています。

 ①人生のすべてのことにおいてどこまでも神に依存して生きること。

 ②すべての問題課題において、神は奇跡をもって答え、必ず報いてくださる事を信じること。

 

さてこの短いエノクの記録の中に、彼が苦しみもがいて信仰を貫いたような雰囲気がありません。多分彼は神と共に歩む日々を楽しんでいたのでしょう。どんな困難な時にも、神は奇想天外な方法で祝福を与えてくださると信じ抜いていたのでしょう。

「あなたは命の道を私に示される。あなたの前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに諸々の楽しみがある」(詩篇16:11)

これはダビデの詩ですが、神と共に歩むことをとことん楽しむ人生こそ、エノクが私たちに示してくださっている生き方であると思うのです。(聖歌588)

今週も主と共に歩む日々を大いにエンジョイいたしましょう。ハレルヤ。

小田 彰

 

 

 

 

「信望愛主」

テーマ「エノクの昇天」

聖書 ヘブル 11章5〜6節、創世記 5章21〜24節

  

「さて、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(11:1)から「信仰とは何か」という大きなテーマで学び始めています。

ヘブル人の手紙11章、今日は先週のアベルに続いて二人目、エノクの信仰について学びます。しかしこの人物が大変重要な人物であるらしい事はわかってきました。

「信仰によって、エノクは死を見ないように天にに移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれたものと、証しされていたからである。」(11:5)

聖書全体の中で昇天した人は、エノクとエリヤとイエス・キリストだけです。エリヤは偉大な預言者でしたが大変多くの葛藤と信仰の戦いの中で職務を全うしました。イエス・キリストは特別な存在でしたが、十字架上で死に復活して、40日後に昇天しました。

しかしエノクは、何の記録もありませんが、「神に喜ばれた者として天に移された」と書かれています。また創世記には

「エノクは神と共に歩み、神が彼をとられたので、いなくなった」(創世記5:24)と記録されているのです。

「神と共に歩んだ」という事は、一瞬たりとも神への信頼を失った事はなく、常に神と一体であったと言うことです。

そうだとすると、聖書の歴史の中でたったひとり地上を歩みながら、天上の恵みの中に生きた人と言うことができます。その意味で、エノクを語る事は恐れ多いことだということに気づきました。

 

☆エノクという名前は「従うもの」「従順」という意味です。彼は

 ①神と共に歩んだ人でした。生涯を通して迷いなく神を愛し、神に愛され、神に認められた聖徒でした。

 ②実際は彼の歩みを妨げた多くの困難があったはずです。次回は「ノア」ですが、その時代は悪がはびこり、欲望と動物的な野心が渦巻く時代でした。ですから神は洪水をまもって滅ぼしたのです。当然エノクに対して信仰を揺さぶる迫害がありました。もしかしたら肉体的な迫害もあったかもしれません。また言葉に表せない人生の苦悩が誰から見てもあったかもしれません。にもかかわらず彼の信仰はぶれることがなかったのです。誰が見ても「神に喜ばれる人」と証されていたのです。

 ③創世記五章のアダムの系図を見ると、アダムは930歳、その他の子孫たちも900歳以上なのです。にもかかわらず神に愛されたエノクは、365歳で天に召されています。私の憶測ですが、その時代の迫害の中で、彼はあまりにも純粋に信仰を貫きました。そこで神は彼を天に引き上げられたのではないかと思っています。

 ④聖書に記録されている出来事と人物は、常識を超えた苦難の中で神と共に歩いた人たちの記録です。

 

☆「信仰がなくては、神に喜ばれることができない。なぜなら、神に来るものは、神のいますこととご自身を求める者に報いてくださることを、必ず信じるはずだからである」(11:6)

ここに真の信仰が定義されています。

 ①人生のすべてのことにおいてどこまでも神に依存して生きること。

 ②すべての問題課題において、神は奇跡をもって答え、必ず報いてくださる事を信じること。

 

さてこの短いエノクの記録の中に、彼が苦しみもがいて信仰を貫いたような雰囲気がありません。多分彼は神と共に歩む日々を楽しんでいたのでしょう。どんな困難な時にも、神は奇想天外な方法で祝福を与えてくださると信じ抜いていたのでしょう。

「あなたは命の道を私に示される。あなたの前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに諸々の楽しみがある」(詩篇16:11)

これはダビデの詩ですが、神と共に歩むことをとことん楽しむ人生こそ、エノクが私たちに示してくださっている生き方であると思うのです。(聖歌588)

今週も主と共に歩む日々を大いにエンジョイいたしましょう。ハレルヤ。

小田 彰