2022.8.28

「信望愛主」

テーマ「アブラハムの都」

聖書 ヘブル 11章 9〜10節、創世記 15章1〜6節

  

 

「信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブとともに、幕屋に住んだ。彼は揺るがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは神である。」(ヘブル11:9、10)

 

前回はアブラハムがいかに旅に出たか?今回はいかに旅し、いかに住んだか?を学びましょう。すなわちアブラハムは何を目指して生きたのかという大きなテーマに取り組もうとしています。

 

アブラハムの信仰とは一言で言えば、「神に従い神と共に歩む」ということでした。彼はまずカルデヤのウルにいた時「み声を聞きました。」

*父テラとともにカナンに行くように命じられました。(創世記11: 31)

*創世記12章、父の親族に別れ自らカナンに行くように命じられました。そこには彼の家族と世界の人々が祝福される約束がありました。

*創世記15章で先の約束の確認がなされました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」(創世記15: 5)と、息子の誕生が約束されました。彼の目的が約束の地カナンと、息子イサクであることが確認されました。彼はそれを受け入れ信じたのです。

*創世記17章で、99歳のアブラハムに主は再度語られました、「私は全能の神である。あなたは私の前に歩み、全きものである。私はあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」(17: 1.2)と、イサク誕生を約束しました。

このようにして神はアブラハムを選び、彼を導き、3度にわたってその約束を更新し確認しました。

○あなたにとっても神の御声を聞いた時が出発の時です。しかしたびたび御言葉を通して、より明瞭に行くべき地を示してくださいます。

 

[アブラハムの信仰]

①離れること、捨てること

②不可能を可能にすること

③与えられたものを捧げること

 

アブラハムが求めた都は、約束の地カナンであったのか?息子イサクであったのか?そうではなく「神との合一」でありました。彼は地上において何を求めたこともなくただ神の御心と一つであることだけでした。

それは伝道者パウロの「もし愛がなければ、一切は無益である」(第一コリント13: 3)という御言葉に通じるものですね。

 

そこで冒頭の今日のテキストを改めて見てみましょう。彼はカナンを目指して旅しましたが、そこに立派な家を建てませんでした。旅人として天幕に住んだのです。彼は族長として大いなる都市を作ることができたでしょう。しかし彼は地上に何かを作ることを求めず、天の都を待ち望んだのです。

神と共に歩むことだけが彼の人生の目的でした。それがパウロが語った「愛」でもありました。

 

○私たちも信仰を持って歩んでいますが、現実の生活の問題にとらわれて、神様との約束を忘れてしまうことがないでしょうか。たびたび聖書の御言葉に帰り、信仰を新しくすることができますように願います。

 

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」(ローマ4: 17、18)

小田 彰