2022.7.31

「信望愛主」

テーマ「アベルの供え物」

聖書 創世記 4章1〜16節

  

お元気でお過ごしですか。猛烈な暑さがやって参りました。気持ちも体も疲れを覚える時ですが、信仰と祈りの力によって乗り越えていきましょう。

 

「さて、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(11:1)

「信仰によって、アベルはカインよりも勝ったいけにえを神に捧げ、信仰によって義なるものと認められた。神が彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル11:4)

 

この信仰の定義について、ヘブル人への手紙は、旧約聖書の信仰の偉人たちについて記述しています。

第一の人物はアベルです。

アダムとエバの第一子、カインは神によって「子を得た」という意味です。第二子は弟アベルです。その名は「息」という意味ですが、はかない存在を意味しているのでしょうか。カインは農耕に従事し、アベルは牧畜に従事しました。2人はそれぞれ神に感謝の捧げ物を捧げました。カインは地の産物を、アベルは羊の群れの中から初子を持ってきました。

「しかしカインとその供え物とはかえりみられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」(創世記4:5)

カインが神に拒否され、アベルが受け入れられた理由について聖書は何も語っていません。しかしカインはアベルを殺してしまったのです。

 

「新しい契約の中保者イエス、並びにアベルの血よりも力強く語る注がれた血である。」(ヘブル12:24)この記事はアベルが流した血が、イエス・キリストが十字架で流した血に匹敵するもののように書かれています。アベルは歴史上の最初の殉教者として記録されているのです。

 

「カインのようになってはいけない。なぜ兄弟を殺したのか。彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである」(第一ヨハネ3:12)この記事が弟アベルの人物が正しい人であったことを暗示しています。

 

それではアベルの信仰とは何だったのでしょうか。

①彼は神に対して素直な心を持っていた。

②カインは怒りを感じて「顔を伏せた」と書かれていますが、アベルは常に神を見上げる信仰の人でした。

③カインは恨みを抱く人でしたが、アベルはいらだたない、ねたむことをしない人でした。

 

パウロが愛について語ったとき、アベルを想起しているように思われます。「愛は寛容であり、愛は情深い。またねたむことをしない。愛は高ぶらない、怒らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない。」(第一コリント13:4、5)

 

それでは信仰の人アベルはどのような人であったのでしょうか。彼は「悔い改める人」でした。それに対してカインは、自己中心的で自我が強く「悔い改めのない人」でした。

 

「信仰とは何か」という大きなテーマに、聖書は「砕かれた心、悔い改めの心を持つ素直な人」と答えています。

 

宗教改革者カルヴァンは「信仰はパイプのようなもの」と語っています。あるいは「チャンネル-水路」のようなものと言う意味でもあります。それ自体は内容を持っていない空なものですが、その管を通ってイエス・キリストが来られるのです。カインは神様に捧げ物をしながら、心の中には一物があり、その心のパイプは空ではなかったのです。信仰とは空のパイプのように素直に神に向かう心です。アベルはそのような性質を持っていたのでしょう。

 

人を意識し、嫉妬や恨み、競争心や敗北感、復讐心などを持ったまま神の前に出る事はできません。委ね、信じ、恨みを抱かない、清い心を持って生きたいものです。

ロシアのプーチン大統領をイメージすると、なるほどカインのような性質だと思わされます。もし彼が砕かれた心、悔い改める心を持っていたら、ロシアは世界中に愛される国になったでしょう。

そして私たちの心も素直であるか、問われているのです。

 

今週の歩みの上に神の祝福がありますようにお祈りいたします。

小田 彰