2022.7.24

「信望愛主」

テーマ「さて信仰とは」

聖書 ヘブル 11章1〜3節

  

「さて、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(11: 1)
10章の終わりのハバククの祈りを受けて「さて信仰とは」と語っています。

 毎月発行しているCFI のCDメッセージでお話ししましたが、私たちの信仰は次の4つの点で表現することができると思います。
①神を第一とすること(人生のプライオリティー)
②すべてのことにおいて、神が与え、満たし、勝利を与えてくださる確信
③ 万一、苦い杯を飲むことがあっても、感謝と賛美をもって甘んじて受け、復活を希望すること
④神の約束は必ず成就するという信仰の確信

 現実問題がどんなに大きくても、それは見える世界の問題でしょう。しかしすべては見えない神の御手と御力によって動いているのです。
「信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって見えるものは現れているものから出てきたのではないことを、さとるのである。」(11: 3)

 信仰を持って生きると言う事は凄いことなんですね。お互いに信仰を持っている者らしい生き方をしたいものですね。ある意味で私たちの生き方を通して、見えない神が存在すること、世の中のすべての事について神が支配していることを証明しなければなりません。そのために私たちは選ばれているのです。

 英国の多くの孤児の父となったジョージ・ミュラーという人がいます。彼は同時に世界各地を回って説教する伝道者でした。アメリカのニューファウンドランドの沖合を船で通過中、深い霧にさいなまれました。運河を通ってカナダのケベックに行って説教することになっていました。船長は「この霧では当分前進できませんね」と言いました。しかしジョージ・ミュラーは「祈りましょう。52年間私と共におられた神は、1度としてスケジュールを変更した事は無いのです」と言って船の海図室に入り祈ったそうです。その船長は彼の信仰とその様子に圧倒されてしまいました。「私も祈ります」と言うと「あなたは信じていないから祈らなくて結構です」と言われました。「外に出てごらんなさい。もう霧は晴れています」と、言った通りになったそうです。彼は予定通りケベックの集会に到着しました。これは私の大変好きな物語です。信仰があると言う事は、事態がどうであったとしても、神の御力に対して一点の迷いも揺るぎもないという事ですね。
 「あなたの前に不可能と思われる問題が立ちはだかる時、問題を見ることなく、神の約束を見なさい。そして前進しなさい」それが信仰ですね。

 また一歩信仰の真髄に近づくことができますように。そして素晴らしい神の恵みを体験することができますように祈っています。

小田 彰