2022.6.12

「信望愛主」

テーマ「終わりの時に」

聖書 使徒行伝 2章14〜21節

 

ペンテコステ(聖霊降臨日)後に、立ち上がった弟子たちは街頭に出て行って福音を語りました。その語り口調は激しい炎を受けて造り変えられた人々の、切羽詰まった訴えでありました。神の大いなる審判の前に、一刻も早く悔い改めて主の御名を呼ぶように迫りました。その結果その日1日で3000人以上の人々が洗礼を受けたのです。明日にでも世の終わりが来るのではないかと「時」を意識させる神の招きの言葉でした。

ペンテコステ直後のペテロの説教を読むときその時間的切迫感を読み取らなければなりません。

 

「神がこう仰せになる。終わりの時には、私の霊をすべての人に注ごう。そしてあなた方の息子娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には私の男女の僕たちにも私の霊を注ぐ。そして彼らも預言をするであろう。また上では天に奇跡を見せ、下では地にしるしを、すなわち血と火と立ち込める煙とを見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに、月は血に変わるであろう。 その時、主の名を呼び求めるものは、皆救われるであろう」(使徒行伝2: 17-21)

 

ペテロの説教

①聖霊がすべての人に注がれる。男女の差も、年齢の差もなく、たとえ奴隷であっても。

②若者が幻を見、老人が夢を見るような社会的現象が起きる。

③地上では流血と戦火、天上においては太陽系が崩れ去るほどの異変が起きる。

④しかし「主の名を呼び求めるものは救われる」

 

多分紀元前400年頃の預言者ヨエルの聞いた神の御声が、今ペテロの口を通して訴えられています。そして聖霊は2000年経った現在私たちにこの御言葉を激しく語っておられるのです。

 

19世紀英国最大の説教者であったCHスポルジョンは、この聖句について次のように語っています。

「なぜ私は主の名を呼ばないのか。神は私に近くいまし、私のかすかな呼び声さえも聞いてくださるのに、なぜ私はあの隣人、この隣人のもとに走っていくのか。なぜ私は座って、考えをめぐらし計画を立てるのか。なぜ私は、すぐに自分とその重荷を主に委ねないのか。」

 

今日あなたの直面している問題課題について、いろいろ人々に相談する前に、速やかに主に呼び求めましょう。聖書をもう少し研究してからではなく、今日御声を聞いたならすぐに神の御助けを祈り求めるべきです。そこで2000年前と同じように奇跡が起きるのです。

 

このような激しく神を求める祈りがあなたの口からほとばしり出ますように祈ります。そしてクリスチャンの真の力を発見することができるように願っています。

小田 彰