2022.3.27

「信望愛主」

テーマ「一切ゆだねて」

聖書 第一 ペテロ 5章6〜9節

 

 ペテロ第一の手紙の最後の章に参りました。

第一章で絶望的な状態の中で「生きる望み」を抱かせ、火のような試練に耐えさせてくださる恵みを語っていました。

 

しかし第5章に来て、神の愛とみ守りに対して一切委ねるという信仰の言葉で終わろうとしています。

「神はあなた方をかえりみていてくださるのであるから、自分の思い煩いを、いっさい神に委ねるが良い。」(5:7)

それは私たちの信仰の生き方そのものではないでしょうか。

しかし逆境の中で、あるいは迫害の中で、この御言葉はなおさら輝き始めるのではないでしょうか。

神様があなたを見守っていて下さるのです。

ですからあなたの思い煩いをまとめてそっくり、神様にお返ししてしまうんですね。

そこには何が残るでしょうか、絶対的平安とつよい信仰ではないでしょうか。

それこそペテロが手紙を書いた時代のクリスチャンたちの生き様であったのです。

「委ねる」とは投げかけることです。

自分の中にある心配事や恐怖心やどうしていいかわからないような迷いを全て袋に入れてまとめて、神様に投げかけてしまうのです。

それが苦しみを乗り越える最も良い手段であります。

 

「あなた方の敵である悪魔が、吠えたけるししのように、食い尽くすべきものを求めて歩きまわっている。

この悪魔に向かい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなた方のよく知っている通り、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。」(5:8、9)

 

今日のウクライナに攻撃をかけるロシアの軍隊の背後に悪魔がいることを感じます。

誰が悪いか以前にその背後に悪魔の力があるのです。

悪魔の働きは信仰者の心を神から引き離すことです。

あるときは過激な方法で、あるときは密かな甘い言葉で、あるときは無意識の世界に潜入して悪魔は私たちの心を神から引き離そうとします。

マタイ4章ではイエスキリストも悪魔の誘惑を受けました。

ヨブ記の一章では、信仰篤いヨブに神を呪わせようとしたのです。

 

キリスト教の歴史を見ると中世において悪魔の力が教会の中に大きく働いていることに驚きます。

1415年7月6日に火刑に処せられたボヘミアの改革者ヨハン・フスは「教会の首は法皇ではなくてキリストである」といい続けたために殺されたのです。

そんなことが教会の中にあったのかと思いますが、そこに悪魔の働きがあるのです。

 

様々な問題の中に取り囲まれる時、私たちは謙遜と忍耐をもって、一切を神様にゆだねていきましょう。

そこに勝利の秘訣があります。

 

「あなたの道を主に委ねよ。

主に信頼せよ、主はそれを成し遂げ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩篇37:5、6)

 

神様の祝福が豊かにありますように。

そして迎える4月が信仰と希望と愛に満たされますようにお祈りいたします。

小田 彰