2022.10.2

「信望愛主」

テーマ「ヨセフの祈り」

聖書 11章21〜22節、創世記 50章15〜26節

 

 ヘブル人への手紙から信仰とは何かを学んでいます。神との素直な深い交わりにあった人たちは、その時代に生きながら、次の時代につながる仕事をしています。その予見性はその人の能力というよりも、神様からの賜物なのですね。
 今日はヨセフ物語に入ります。創世記37章から50章まで13章にわたる大変長い記録です。なぜヨセフ物語がこのように細く記録されているかと言う意味は理解しがたいものがあります。モーセがイスラエル民族を救出してカナンに連れて行った「出エジプト」の歴史的背景を示している事は確かです。
 しかしヨセフと言う人物が、繰り返し繰り返し試練に出会い、想像を絶する苦しみにあったにもかかわらず、一点の疑いもなく、苦々しい気持ちや恨みを持つこともなく、ひたすら生き生きと輝いている点において、新約聖書のイエス・キリストの雛形ではないかとも言われています。
 
 「信仰によってヨセフは、その臨終にイスラエルの子らの出ていくことを思い、自分の骨のことについて指図した。」(ヘブル11: 22)
この記事だけからヨセフの祈りと信仰を引き出す事は大変困難です。ですから創世記37章から読み始めてみてください。ポイントだけをお伝えします。

①ヨセフはヤコブの最愛の妻ラケルの晩年の子でした。それ故溺愛し、他の10人の兄達に勝って美しい衣を着せ、特別待遇をしました。そこでヨセフは兄たちの恨みを買い、ついにはエジプトに売られてしまったのです。(創世記37章)

②エジプト王パロの侍衛長ポテパルに買われましたが、その能力を高く買われて家事一切を任されました。しかしその妻の誘いを断ったために、牢屋に入れられることになります。しかしそこでも信頼を受け、牢屋の管理人から一切の管理を任されるようになります。(創世記39章)

③牢獄に入ってきた王の給仕役と料理長が見た夢を解いたことがきっかけで、2年後に王様の夢解きを頼まれます。ポテパルの家に雇われてから牢獄生活を通し13年が過ぎました。(創世記40章)

④王の夢を解いて「7年の大豊作と7年の飢饉」を予言したことによって、危機を脱出するための指導者として司に任じられます。今日の「首相」ですね。(創世記41章)

⑤パレスチナ全域にこの飢饉が拡大し、ふるさとカナンの家族の生活も困難になっていた時、父ヤコブは10人の息子たちをエジプトに派遣し、賢い王様に食料をいただく願いをさせるのです。(創世記45章)

⑥ここでヨセフとかつて裏切って売った兄たちとの再会があります。その結果父親も含め家族がエジプトに移住することになります。これがエジプトにイスラエル人が増えていくきっかけです。(創世記46-48章)

⑦父ヤコブが死んだ時、兄たちはヨセフが自分たちに仕返しをするだろうと考えました。しかしヨセフは涙を流し、全くそのような気持ちがないことを伝えます。兄弟に対する完全なる許しです。(創世記50章)

⑧ヨセフがいよいよ召される時、一族のものに伝えます。必ず故郷に帰る日が来るので、私の遺骸を故郷に葬るようにという願いでした。なんと400年後、モーセによって出エジプトし、ヨシュアによってカナンに入ったとき、ヨセフの遺骸も葬られたのです。(ヨシュア記24: 32)

さて、この物語からヨセフの素晴らしさを三つ挙げることができるでしょう。

I)「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運なものとなり、主が彼の手のすることを全て栄えさせられた。」(創世記39: 2.3)異国人であるエジプト人も彼の素晴らしさを認めたのです。パロは言いました「我々は神の霊を持つこのような人を他に見出し得ようか。」(創世記41: 38)彼は誰が見ても神と共に歩んでいたのです。

2)兄たちが自分の罪を認めて、しかし仕返しをされるのではないかと思った時に、ヨセフは「神の摂理の中に、一切恨みを持っていない」ことを告白します。「愛は寛容であり、愛は情深い、…いらだたない、恨みを抱かない」。(第一コリント13: 4.5)

3)ヨセフは神の愛の中に、逆境を最良の状態に変える賜物を持っていたのです。そしてきたるべき神のご計画を予知していたのです。(創世記50: 25、26)
400年後にエジプトを脱出すると言う幻を見ていた事は驚くべきことです。

 クリスマスに誕生し、貧しさの中に成長し、3年間半、福音を宣べ伝え、迫害を受けてムチ打たれ、ついに十字架に死なれた主、しかし3日目に復活したお方は、ついに全世界の王の王、主の主となられます。ヨセフ物語から垣間見えるみ子イエス・キリストのお姿ではないでしょうか。

 全てが神の御手の中で、摂理の中に進められていることのゆえに、あせらず、争わず、恨まず、忍耐し、希望を持って生きるという素晴らしい人生観を私たちのものとしたいものです。
今週も神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰