2022.1.1

「神の御力に守られて」 第一 ペテロ 1章1〜12節

 

2022年新年メッセージ

 

新年にペテロ第一の手紙から神の御心を伺いたいと思います。そこには試練の中に生きる人に対する励ましがあります。終末的時代だからこそしっかりと希望を持って生きなければならないことが示されています。その希望は曖昧な楽観主義ではなく、確かな土台に基づいた希望でなければなりません。

現在日本も世界もコロナ問題で不安の中にあります。どの国も経済の問題で行き詰まりつつあります。そして世界は大戦争でも起こらない限り突破できないもやもやとした暗闇の直前にあります。今こそ「生きる望み」を持たなければなりません。それをペテロがよく伝えてくれています。

[書かれた背景]

伝道者パウロがローマで殉教した直後、キリスト教会全体の監督であったペテロは、パウロによって作られた小アジアにおける数多くの教会に対して、キリストの直弟子であった監督ペテロとして、信仰の本質は変わらないことと、これから迫害が厳しくなるために心の備えをするようにと、この手紙で伝えようとしました。そしてこの手紙をパウロと共に伝道しその弟子であったシラス(5:12ではシルワノ)に持たせて回覧させたのです。ここにペテロのパウロに対する大変深い思いやりと愛があります。

[クリスチャンの特権]

①新しく生まれ変わったものには「生きる望み」がある。現世においては罪が許され、来世においては永遠の命が与えられているという確信(1:3)

②天に蓄えてある資産。決して目減りすることのない上よりの資産(1:4)

③どのような逆境の中にも神の御力により守られている。(1:5)

 

迫害やそれに伴う試練を喜び楽しむ人はいません。しかしそれを通して、神のご計画が前進し、人々が救いを見出し、永遠の命が与えられるという目的のために、苦しみもまた甘んじて受けなければならないのです。

イエス・キリストは言われました。

「1粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ1粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。(ヨハネ12: 24)

種まく農夫はどんなに苦しみがあっても、きたるべき収穫を夢見て進んでいきます。ペテロは試練の時代に生きる人々に、今経験している苦労は、未来の大いなる収穫に必要な苦労であるから耐えるようにと勧めています。

 

私たちは義務で苦しみを耐えているのではありません。愛の動機によっているのです。人生の全ては愛によって始まり愛によって完成されるのです。

 

「あなた方はイエス・キリストを見た事はないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉に尽くせない、輝きに満ちた喜びに溢れている」(1: 8)

この手紙を受け取った人々もイエス・

キリストには会った事はありませんでした。多分キリスト昇天の後38年が経っていたでしょう。ペテロはキリストとともに3年半の間旅をし、キリストの許しをいただきました。しかしその後全世界に広がったクリスチャンは多分100万人にも及ぶ人々ではなかったかと思います。そして私もそうなのですが、キリストを見た事はないが「彼を愛している」のです。

 

2022年の行方も多難な予感がいたしますが、キリストを愛するが故に、いかなる困難をも喜んで乗り越えていく力が与えられています。そして様々な攻撃の中にあっても「神の御力によって守られ」、天に蓄えてある資産を期待しながら、輝きに満ちた喜びに満ちあふれて進むことができるのです。

順風にも逆風にも、富める時も貧しき時も、健やかな時も病める時も、歌いながら進んでいくことができます。

今年も大いなる信仰を持ちましょう。すべて必要なものは与えられると信じて、大胆に捧げ、大胆に人々のために奉仕しましょう。本当の豊かさがあなたに与えられますようにお祈りしています。

小田 彰