2021.8.1

テーマ「外なる人内なる人」

聖書 第二 コリント 4:16〜18

 

 2コリント4章においては、尊い宝を土の器の中に持っている、また四方から患難を受けても行き詰まらない、そしてすべては感謝が満ち溢れて神の栄光を表すのであると言うような素晴らしい言葉が続いています。そして今日の16節から18節は、さらに高いパウロの信仰の真髄を語っています。

 

 パウロによる「落胆しない人生の秘訣」と言っても良いでしょう。

①内なる人が強められているので恐れることがない。

②患難の後にはさらに大いなる神の栄光が待っている。

③今は見ることができないが永遠に続く見えない世界に向かって私たちは進んでいくのだ。

 それ故どのような出来事の中にも私たちは落胆しないと言うことができます。それはすべてのクリスチャンの信仰告白でもあります。

 

「だから、私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日毎に新しくされていく」(4: 16)

 「外なる人」とは7節にある「土の器」、11節にある「死ぬべき肉体」と同じ意味です。すなわち、日々朽ちていき、やがては墓に入る人間の肉体と、肉体に付随するすべての機能、活動、エネルギーなどを意味しています。外からの困難や圧力によりそれは弱められていく部分なのです。

 「内なる人」はこれに比べ、外見によってはわからない、外に現れない霊的な部分であります。それは外部からの攻撃によって影響されないのみか、神によって日々新しくなる部分です。

 

 この内なる人の中には、新しく生まれ変わって与えられた聖霊が宿っています。心の中心にある王座にイエス・キリストが座っておられる時、私たちのすべての業は整えられて、平安であり勝利に導かれます。

 しかしその王座に私(自我)が座っているならば、その人生は葛藤と不安の連続であり、その結果敗北的なものとなります。

 

 この信仰に立つならば、いかなる外界の攻撃と、朽ちゆく存在であったとしても、全く敗北することなく、日々に新しい命に満ち溢れるのです。これこそクリスチャンの生涯です。

 

「なぜなら、このしばらくの軽い艱難は働いて、永遠の重い栄光を、溢れるばかりに私たちに得させるからである」(4: 17)

 伝道者パウロが経験した苦難は軽い患難ではありませんでした。しかし彼が期待している天の恵みは、はるかに重い栄光であったのです。

 

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」(4: 18)

彼は現在見ている苦難の遥か向こうに、今は見えないが必ず与えられている神の栄光を見ていました。見えない世界を見ることこそ信仰の真髄です。

 

「さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブル11: 1)

聖書に記されている神は見えない存在です。ヘブル語で「エル」、ありてあるものと言われるお方は、英語では「エアー」空気と訳されている言葉です。見えない空気は、私たちを祝福し酸素を送り続けています。この見えないお方を見ていく人生こそ信仰なのです。

 

 苦難と試練の中において、キリスト者はイエス・キリストと深く結びつきます。平和で豊かに繁栄している物質的な時にはイエス・キリストのまなざしを見る事は稀です。パウロは試練の中でますますイエス・キリストと一対一の交わりを得ました。その交わりは地上のあらゆる物質的世俗的な世界から、私たちの目を永遠の希望の光へと向けさせるのです。

 

 このような信仰があなたの人生を力付け、導き、勝利をもたらすことができますようにお祈りしています。いよいよ8月に入りました。緊急事態宣言等問題課題はたくさんありますが、私たちの心は内なる人のゆえに平安と希望の光に満ちて、坦々と歩むことできるのです。祝福が豊かにありますようにお祈りしています。

小田 彰