2021.6.6

テーマ「ゆるす恵み」

聖書 第二 コリント2:5〜11

 

「もしあなた方が、何かのことについて人をゆるすなら、私はまたゆるそう。そして、もし私が何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなた方のためにキリストの御前でゆるしたのである。」(第二 コリント2:10)

 

 今日のテーマは教会の中に於いて人をゆるすこと。ここで言う教会は私たちが属している現在の教会にとどまることなく私たちの社会、あるいは国家あるいは世界の中の組織等をも含んでいる言葉です。

 

 紀元50年頃、パウロはコリントを訪問し福音を語り始めました。たちまち教会が出来上がりました。1年半の伝道の後若いリーダーたちに後を託して旅に出ます。その後エペソに3年間滞在し伝道しました。しかしコリント教会の内情については心配が絶えませんでした。その中にパウロにあからさまに反対する者がいました。パウロがその罪を叱責する手紙を(いわゆる「涙の手紙」)送ったために、彼は反省し、教会の中における調和が回復しました。そこでパウロは「ゆるそう」と言うこの手紙を書いたのです。

 

 

「ゆるし(赦し、許し)」についてはヘブル語でカーファール(覆う)が最も有名な言葉ですね。一切見えなくしてくださる事なんですね。イエス・キリストによって私たちの罪を被ってくださる神の恵みを意味しています。しかし第二コリント2章で語っているゆるしは、ギリシャ語でカリゾマイで慈愛をもってゆるすと言う意味です。違いや問題点を認めながらも、教会の一致と、その人物の将来を考え愛をもってゆるすことです。

 

 「ゆるすことは生かすこと」。

問題となった人物が教会の交わりから離れてしまうことなく、教会の中において正しく行動することができるような形で生かすこと。それと同時に1人の人物を特別視したり、過保護にしたりすることによって教会全体の交わりが壊れてしまうことがないように、正しい方向性を示し、信徒一同の理解を得た上で「教会を生かし」ていく道。

 このようなデリケートな問題について聖書は私たちに語っているのです。

 

 ペンテコステの聖霊経験をしたパウロでさえも、同じ教会の弟子たちとの関係において涙を流して祈らねばならないほど苦しみ悩みました。聖霊の働きは、人間関係の問題で忍耐強く祈る時、力を発揮します。

 

 聖書はこの問題について4つの示唆を与えています。

①祈り、待ち望んで、感情的にならず、急ぐことなく、事態を把握すること。

②「ゆるすとは生かすこと」個人にとっても教会にとっても生きる道を模索すること。

③イエスキリストの十字架の御前でそれを進めること。

④サタンの分断攻撃に備えること。

 

主イエスキリストは、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)と十字架上から言われました。主の弟子たちであるクリスチャンたちは、現実にはこの問題が非常に大きな困難な問題であったことを歴史をもって証明しています。カトリックとプロテスタントの分裂や、ローマカトリック教会から独立した英国国教会の事件、そして今日も存在する様々な教会分裂の歴史、それらは一時的には深い傷をつけ合う苦しい選択がなされたであろうことを想像させます。しかしそこにカリゾマイという「ゆるしの恵み」が働いて、全体として平和を保ち成長を続けているのです。そこに目に見えない神の愛の実存があります。

 

「神の御心に添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」(第二 コリント7:10)

 

 兄弟姉妹の現実的な信仰生活の中における人間関係において、この御言葉が支えとなり光となりますように祈っています。

小田 彰