2021.11.28

テーマ「ねむられぬ夜」

聖書 第二 コリント11:12〜33

 

今週からアドベント入ります。クリスマスから4週間前になり、イエス様を思うシーズンを迎えました。

天使ガブリエルはマリアに現れて「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」(ルカ1:28)と言いました。受胎告知ですね。全世界の女性の中から選ばれたことは素晴らしいことです。そしてキリストの母となる召命は尊いことです。しかしそれは母としての苦悩と負いきれないほどの重荷を意味しました。

伝道者パウロが、ダマスコに向かってクリスチャンたちを迫害するために旅立った時、その途上で光に打たれ落馬し失明しました。預言者アナニヤによって目が開かれますが、主は彼に言われました。「彼は異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、私の名を伝える器として、私が選んだものである。私の名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。(使徒行伝9:15、16)

 

さて今日のテキストはパウロがキリストの福音宣教のためにどれほど苦しんだかという記録です。彼が受けた試練について少なくても20項目以上のことが書かれています。24節に「ユダヤ人から四十に1つ足りない鞭を受けたことが5度」とありますが、これはイエス・キリストが十字架にかけられる前に受けた鞭と同じです。パウロの受けた試練がイエス・キリストの苦難と二重写しになっています。

27節に「たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き」と書かれています。私は学生時代に「眠られぬ夜のために」という、スイスの法学者、国会議員、クリスチャン思想家カール・ヒルティの本を愛読しました。心の葛藤、神の御心を模索する夜通しの祈り、不安や恐れによって妨げられる眠り。それは私たちにもしばしば襲ってくる出来事です。パウロは肉体的に傷つけられる以上にねむられぬ夜の祈りの重さを経験したことでしょう。

パウロは後に若い伝道者テモテに書き送っています。「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとするものは皆、迫害を受ける」。(第二でもって3:12)

私たちも信仰を持っているが故に、受ける迫害があります。あるいは試練と言ったら良いでしょうか。

 

私は思うのです。「神の選びと召命は、しばしば苦難の道であるが、それは尊い栄光の人生である」と。

 

日本にも1年間滞在しインドで伝道したエミー・カーマイケルという婦人宣教師がいました。ノーベル平和賞をもらったマザー・テレサにも匹敵するような素晴らしい働きをした人です。彼女の言葉に、「キリストのために疲れ果てること、これ、伝道者の勲章なり」とあります。

 

今日、パウロが受けた試練の数々が、キリスト者の栄光であり喜びであることを改めて知らされます。そして受胎告知を受けたマリアの生涯もまさに苦難を背負う、しかし栄光の道であったと思わせられます。それがクリスマスなのです。飼い葉桶の中に寝かされた幼子イエスこそ、十字架の道を歩むために生まれてきたお方なのです。

 

お互いに神に選ばれ、神に召され、御言葉によって導かれ、信仰を貫いていこうとするときに受ける試練を感謝して受け取ることができますように、ご聖霊が力を与えて下さいますように祈ります。

今週も神様の恵みがあなたと共にありますように。

小田 彰