2021.1.10

テーマ「栄光のとどまるところ」

聖書  詩篇26: 1-8

 

詩篇25篇において、ダビデは孤独な祈りを捧げていました。この26篇は引き続いて神の前に祈りながら、しかし自分には過ちがないと告白しています。ダビデ詩篇71篇の中に、5つ自分の正義を告白している詩篇があります。⒌⒎17.18.26篇です。

 「主よ私をためし、私を試み、私の心と思いと練り清めてください。」(26: 2)自分の過ちがないと思うので、神様にテストしてくださいと言っているのです。しかしこの「練り清める」という言葉は、創世記22章1節で、神がアブラハムを試みられたと書かれている言葉と同じなのです。アブラハムは100歳になって生まれたイサクをモリヤの山で捧げよと言う恐ろしい命令を受けました。それによって彼の信仰が試されたのです。彼が罪を犯したからそのような罰が与えられたのではなく、神が特別に愛をもって彼を選び用いたいと願ったために100%の信仰を求めたのです。

 神はしばしば苦難が私たちに迫ることを許されます。そして私たちが究極の闇に於いて、隠された宝である神の愛を知ることができるように求められることがあります。そのような苦難の時にも、誠実なお方は常にあなたと共にいて見放すことはしません。このような深い真理にあなたが導かれましたら幸いです。ダビデは試練の最中でひたすら神に近づこうとしました。そこでこう言いました。

 「主よ、私はあなたのすまわれる家と、あなたの栄光のとどまるところとを愛します」(26: 8)

ただいまコロナ禍の緊急事態によって不自由になっております。またそのことによって生活が困難になった方もあるかもしれません。しかしこのような時私たちは神様に近づき、聖書に親しみ、祈りの時を倍増して信仰を研ぎ澄ませていきたいと思うのです。

 神様があなたの心に深く語りかけてくださるように願っています。祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰