2026.5.3

[活水湧出](18)

「空の空」(伝道の書 1章1〜18節、ローマ 8章18〜28節)

 

 今月より旧約聖書、伝道の書の学びに入ります。伝道の書は、旧約聖書の知恵文学(ケスビーム)の中に編纂されています。ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌の中で第4番目になります。「伝道者」はヘブル語聖書では「コーヘレス」と書かれ「コーヘレスの言葉」が本来の名称です。新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」としています。マルチン・レターが「伝道の書」としたことから、今日まで用いられてきた名称です。集会の中で語るもの、あるいは説教者という意味もあります。

 では著者は誰でしょうか?一般的にはダビデの子ソロモンと言われてきました。「ダビデの子、エルサレムの王伝道者の言葉」(1: 1)しかし、この書には、どこにもソロモンという名前がないのです。「伝道者である私はエルサレムで、イスラエルの王であった。」(1:12)と過去形で書かれていますから、かつて王であったように理解されます。

 伝道の書はたくさんの知恵の言葉が集まってはいますが、虚無的な言葉の連続と、快楽主義的な言葉と、そして神を第一とする信仰とが混在している文学です。またギリシャ的な思想が深く入っているとも言われます。今日聖書学者たちは、「ソロモンの名前を借りた知恵の言葉」と理解しています。

 

 しかし、私がなぜ自由が丘チャペルにおいて、今年この伝道の書を選んだかと言いますと、今ほど政治が虚しく、世界の平和が遠く、人の心が渇いている時代はないと思われるからです。

 

「伝道者は言う、空の空、空の空、一切は空である。日の下で、人が労するすべての労苦は、その身に何の益があるか。……私は日の下で人が行うすべてのわざを見たが、皆空であって風を捕えるようである。…」(1:2〜14)

 

 新共同訳聖書では「何という空しさ、すべては空しい」と訳しています。しかし2018年に出版された協会共同訳では、私たちがずっと使っている口語訳聖書と同様に、「空の空」と訳しています。伝道者(コーヘレス)は、誰よりも高い豊かな知識を持った人物でした。また誰も及び難い富と豊かさと贅沢を極めた人物でした。王様であるならば、その後継者への引き継ぎもうまくできたように書かれています(2:12〜21)。にもかかわらず「一切は空である」と空しい吐息を吐いたのです。

 多くの学者が言うように、多分BC 2世紀頃までにユダヤの文学者がソロモンの名前を借りて、いかに知者であっても、快楽の限りを尽くしたとしても、いかなる権力を持って支配したとしても、幸福ではない。神に立ち帰れ。創造主を覚えよとのメッセージを伝えようとしたものではないだろうか。

 伝道の書は人生の意味を教える鍵の探求であり、伝道者は探求によって神だけがその鍵を持っておられ、人は神を信頼するほかはなく、人は神の御手から命を日々に受け、その営みの中で神の栄光を表すべきことを見出したのです。

 人生の最後に「あー、なんと空しい人生であったか」とため息をついて死ぬことがないように、私たちに警鐘を鳴らしているのです。この旧約聖書の空しい問いかけは、新約聖書のキリストの来臨によって全く打ち消されました。私たちには、もはや「空」はなく、「喜びと賛美と平安」が与えられました。イエスは一度も「空しい」と語った事はなく、十字架上でさえ感謝して神に委ねました。

 

 今、世界に起こっている戦争と破壊、平和に逆行する殺戮、愛を求めている人々の叫びを掻き消してしまう爆発音、金を配れば幸せになるかのような為政者の発言、そして日本全国を覆う老化の波、そして私たちに迫りくる死の恐怖に対しても、「空の空」とは言わず「感謝ハレルヤ」と言う者となりたいものです。

 

 この学びが、あなたの心に新しい光と力を与えることとなりますようにお祈りしています。

小田 彰