2026.5.17

[活水湧出](20)

「三つよりの綱」(伝道の書 4:1〜16、第一ヨハネ 3:13〜18)

 

 伝道者(コーヘレス)はあらゆる知恵に満ち、物質的豊かさを持っていましたが、人生を振り返り、人間のわざを振り返る時、実に「一切は空の空である」と言いました。著者は知恵の王ソロモンの名前を借りてはいますが、後のユダヤの知識人であったであろうと言われています。

    第4章は、世の中の不条理を批判しています。

「私はまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられるものの涙を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし、彼らを慰めるものはいない。」(伝道の書4:1)

 このコーヘレスがどういう立場の人であったか分かりませんが、権力者がいつも弱く、貧しいものをしえたげてきたことを批判しています。二千数百年前のものとは思えないほど現代的ですね。日本においても格差社会が問題を定義しています。世界中においても富める者たちの横暴が目に余りますね。彼の目には、虚しく見え「空の空」とため息が出たのでしょう。

 

 さていくつかの大切なテーマが書き連ねられているのですが、ぜひ聖書をお読みください。

 

 今日のテーマ9〜12節です。

「二人は一人に勝る。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れるときには、その一人がその友を助け起こす。しかし一人であって、その倒れる時、これを助け起こす者のない者は災いである。また二人が一緒に寝れば暖かである。一人だけでどうして暖かになりようか。人がもしその一人を責めたなら、二人でそれに当たるであろう。」

 伝道者は、競走と嫉妬の渦巻く社会に対して、失望し虚しさを感じながらも、二人の人の兄弟愛を見ることによって慰めを受けました。このテキストにおいて、二人が助け合う姿は、旅人、あるいは戦場における戦友のことを語っていると言われています。著者が実際にそういう友人を持っていたかという事はわかりません。しかし、社会全体の風潮や、政治に対して失望した彼が、友情に対してだけは希望を持ったようです。

 

ヘンリ・ナウエンは友情についてこう言っています。

「私たちには友人が必要です。友人は私たちを導き、心にかけ、愛をもって私たちに向き合い、辛く苦しいときには慰めてくれます。… .しかし友人は神にとって代わることはできません。友人には私たちと同じように限界や弱さがあります。けれども、その限界のうちにありながら、友人は、神の無限で無条件の愛へと向かう私たちの旅路の道標となってくれるでしょう」

 

そして、伝道者は言います。

「三つよりの綱はた安くは切れない」。このような神の無限の愛に近づくために与えられる強い絆が、教会の交わりであったなら幸いです。

 

 今日のキリスト教信仰の土台に「三位一体論」があります。聖書の神は父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神が、異なる表現の中で一つとなって唯一の神を示しています。三つよりの綱に通じるものであるかはわかりませんが、神の創造は常に互いに強く、結び合う関係において進められてきました。水は、酸素原子1に対して水素原子2が結合して水の分子を形成しています。

 伝道者がこの世のあらゆるものに絶望しつつも、ささやかな友情に希望をつなぐことができたとすれば、現代において私たちにもその恵みが与えられているのではないかと思います。

 イエスはルカによる福音書10章で「善きサマリア人」の例話を述べました。イエスが、このように人間の友情や愛情について希望を残してくださったのは、ご自身が十字架上で、命までも捨てて、私たちを愛してくださった事実があるからでしょう。

 旧約聖書の伝道の書で、淡い希望のように見えた友情の証が、新約聖書のキリストの十字架で、ゆるぐことのない真理となっているのですね。

「主は私たちのために命を捨ててくださった。それによって、私たちは愛ということを知った。それゆえに、私たちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」(第一ヨハネ3:16)

 

 私たちの信仰の交わりが、切れることのない絆として強められていきますように、三位一体の神の哀れみを祈り求めて参りましょう。アーメン🙏

小田 彰