2026.4.5

[活水湧出](14)

「石はすでに」(マルコ 16:1〜8、マルコ 11:20〜26)

 

イースターおめでとうございます。イエス様が初穂として復活してくださいました事は、私たちの希望であり、確信の根拠です。復活の信仰はまた、「神にはできない事はない。神にはすべてのことが可能である」という信仰です。

 

新約聖書が語るイースターメッセージは、

①イエスの受難と十字架

「十字架なくば冠なし」

No cross, no crown❗️

②イエスの復活

③私たちの復活信仰

(第一コリント15: 50〜58)

の三つの内容を持っています。

そして、私たちの復活信仰において、復活は現実のものとなります。

 

そして、週の初めの日に、早朝、日の出の頃、墓に行った。そして彼らは「誰が、私たちのために墓の入り口から石を転がしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。ところが目を挙げてみると、石は既に転がしてあった。この石は非常に大きかった。(マルコ16:2〜4)

 

イエスを慕い求める女たちは、香料を持って墓に向かいました。今日ゴードン将軍の墓と言われる場所がイエスの復活の場所だとするならば、その石の直径は4メートルほど、厚さも70センチはあったでしょう。ローマの兵隊によって、24時間体制で守られている墓に向かう彼女たちの気持ちは、あまりにも一途で大胆でした。そこに信仰の奇跡が生まれます。

「目を上げてみると、石は既に転がしてあった」と書かれている「既に」に着目しましょう。日本語ではそのように書かれていますが、原語でも、あるいは英語でも、それは過去完了形で書かれています。

The stone had been rolled back.

彼女たちが思い煩いながら、しかし、祈りながら、墓に向かっていった時に、既に墓石は動かされていたのです。

 

「何でも祈り求める事は、既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。」(マルコ11:24)とイエスは教えられました。私たちがその結果を目で確認する前に、神の御手は動いていたのです。

「しかし、主に向くときには、その覆いは取り除かれる。主は霊である。そして、主の霊のある所には、自由がある。」(第二コリント3: 16、17)一途にキリストに向かう婦人たちの心には、疑いや不安の雲は取り除かれ、神は成してくださるという信仰の自由が与えられていたのです。

 

彼女たちを迎えた白い衣を着た若者は、「イエスはよみがえって、ここにはおられない。」(マルコ16:6)と伝えました。私たちは自らの悩み、迷い、不可能と思われる願い事を抱え込んでおります。しかし、もうそれは過ぎ去ったのです。イエス様は死の中にはおられない。栄光の命の中に移られたのです。

 

さて、私たちの復活信仰について伝道者パウロは、試練と迫害の中からはっきりと確信を持ちました。

「私たちは眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きとともに、またたくまに一瞬にして変えられる。と言うのは、ラッパが響いて、死人は朽ちないものによみがえらされ、私たちは変えられるのである。」(第一コリント15:51.52)

 

2026年のイースターに、神がすべての不可能を可能にしてくださることを信じましょう。そして私たちの思いをただ十字架と復活のイエスにのみ注ぎましょう。そして私たちも復活と永遠の命に入れられることを確信いたしましょう。このような信仰に導いてくださるのは、ご聖霊の働きです。

素晴らしいイースターとなりますようにお祈りしております。

小田 彰