[活水湧出](8)
「信仰の祈り」(マルコ 11:12〜26、ゼカリヤ 4:5〜9)
月18日より4月4日まではレント(受難節)です。主のご苦難を思い、瞑想し、祈る時ですね。
先週 、ろばの子に乗ってエルサレムに入城されたイエスの心の内面の苦悩と外面の栄光という二重性についてお話しいたしました。しかし今日は、イエスは「この世のものではないが、この世に生きている方」という二重性を持ったお方であるという観点から聖書を読んでみましょう。今日は祈りの本質的な問題に触れています。
エルサレム入城の翌日、ベタニヤから都に登る途中で、空腹を覚えられ、1本のイチジクの木の実を求められましたが、何も見出すことができず、その木を呪われたと書かれています。その翌朝、再びその道を通ると、そのイチジクの木が根元から枯れていたと言うのです。ペテロはじめ弟子たちは大変驚きました。そこから信仰の祈りという大きなテーマについて語られました。
「神を信じなさい。よく聞いておくが良い。誰でも、この山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言った事は、必ず成ると、心に疑わないで、信じるなら、その通りに成るであろう。そこで、あなた方に言うが、何でも祈り求める事は、既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。」(マルコ11:22〜24)
祈りによって、物質が動くと言う事は信じがたいことです。しかし、それは超能力があれば良いということではありません。「信仰の祈り」とは、イエス様の救いによって、生まれ変わったもの(新生)は、もはやこの世の者ではないのです。それは神の国の者なのです。しかし、地上に生きているのです。ですから、祈りは熱烈の度合いとか、修行や力の入れようではなく、神の御心として信じるときにそのようになっていくのです。これは単にクリスチャンになるとか、教会に属することなどとは違う次元の霊的経験です。
イエスにとって、必要な願い事は、信じたその瞬間実現する事は天国の常識でありました。だから、私たちにもその常識を信じて行動せよと仰せられているのです。地上の現実社会で揉まれている私たちが、地上の必要なものを得るために、必死に祈って与えられたいと願う事は、全く「信仰の祈り」とは、かけ離れたことなのです。
スペインの修道女テレサ(1518〜1582)は人々から慕われましたが、生涯に男子のための修道院を15、女子のための修道院を17建てたと言われています。ある時「今手元にどれぐらいの資金があるのですか」と問われた時、「ここに2つのコインがあります」と答えました。「この2つのコインに神様を掛ければ無限になります」と答えたそうです。まさにこの世の常識を超えた神の国の計算方法で生きた人です。
ちいろば牧師として有名な榎本保郎先生は、「歩くことのできない赤ん坊でも、飛行機に乗れば何1000メートルの上空に上がることができる。それがキリスト教の信仰である」と言いました。
全く無力な私たちでありましても、もし神の国の住人となっていますなら、無限の神の力を背景にして何事でもなすことができるのだと言うのです。これはまさに新約聖書の半分を書いたパウロの信仰でもあります。
さて、私たちがイエスの救いによって、罪が赦され、清められて、神の国の住人として生まれ変わっているかということが問われています。もしそのような新生の経験が明確であるならば、どのような祈りも天に届いて実現するのですね。
今週も神の国の祝福があなたの実際生活の中に豊かに注がれますようにお祈りしております。
小田 彰
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