「み衣に触れた女」(マルコ 5:21〜34、イザヤ 6:6〜8)
マルコによる福音書4章後半から5章にかけて、イエスは4つの奇跡を行っています。神の御子としての御業と言ったらよろしいのでしょう。
①自然界に対して…ガリラヤ湖の嵐を静めた
②悪霊に対して…ゲラサのレギオンを宿す男を解放した
③病に対して…今日のテキストである長血を患った女を癒した。
④死に対して…会堂司ヤイロの娘を復活させた。
聖書は今日もイエス・キリストを通してこのような奇跡を行うことができると宣言しています。
先週のゲラサから対岸に渡った時、そこにも群衆が押し寄せてきました。12年間も、長血を患っている女が、群衆に紛れて、密かにイエスに近づき、その御衣に触ったのです。これほどの群衆がいるのですから、誰でも触りますと弟子たちはイエスに言いましたが、イエスは強い信仰を持って自分に触れた人の切なる祈りを見逃す事はありませんでした。イエスが触ったものを見つけようとして見回していた時、
「その女は、自分の身に起こったことを知って、恐れおののきながら、進み出て、御前にひれ伏して、すべてありのままを申し上げた」(マルコ 5:33)「イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれた」(マルコ5:30)。
イエスからエネルギーを引き出すことができるような切なる祈りを捧げたこの婦人はどのような人だったのでしょうか?
[この女の苦悩]
①長い年月(女の一生)の病の苦しみであった。
②レビ記15章に女性の出血について書かれている「不浄な女」として扱われていた。
③家族、友人、社会からも隔絶されていた。
④あるいは夫がいたかもしれませんが、離縁されていたでしょう。そして、そして財産は全て使い果たしてしまった。
⑤女として生きる意味も、価値も、目的も喪失していた。
[女の信仰]
①イエスに触れるほかに全く希望がなかった。
②群衆に紛れ込み、み衣にさわる行動を起こした。
③社会的、宗教的制裁を受けることを覚悟していた。
④大胆にも信仰を持って御衣に触ったのです。
「すると、血の元がすぐにかわき、女は病気が治ったことを、その身に感じた。」(マルコ 5:29)
大胆な行動の結果として、彼女自身が癒されたことを体験しました。しかし、イエスはただ彼女の病が癒されたということだけではなく、彼女の長年持ってきた深い、誰にも語ることのできない心の痛み、罪の苦しみ、心が凍るような孤独の深い悩みを知って癒されたのです。そして、
「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです」(マルコ 5:34)と言われました。
「娘よ」とイエスが言われたのはこの人のみでした。すなわち、イエスの信仰と女の信仰とは同一の血縁関係にあるということを意味しています。ある神学者は「彼女は病の癒しだけではなく、永遠の救いを得ました」と言っています。
伝説によれば、彼女の名はベロニカと言い、イエスが十字架を背負ってゴルゴダへ向かう時、そのみ顔を拭った女と言われています。
「イエスに触れる」 という言葉の深さに思いをいたしましょう。私たちの心の最も深いところで、誰にも語ることができなかったことについて、心を開いて、イエスに申し上げることができたら、「聖霊が私たちに触れてくださる」のではないでしょうか。
今週、あなたの祈りがイエスの力を引き出して、結果を見ることができるような祈りとなりますように願っています。祝福がありますように。
小田彰😄