2025.6.1

「静まれ 黙れ」(マルコ4:35〜41、ヤコブ1:1〜8)

 

救いと助けを求めて、押し迫る群衆に、イエスは福音を語りました。船の中から語りましたが、夕方になって、

 

①弟子たちに「今、向こう岸へ渡ろう」と言われたのです。

それは群衆との長時間の対話に一区切りをつけようという意味もあったでしょう。しかし、それ以上に好評を博し、時代の脚光を浴びたイエスの弟子たちは、自分たちの栄光と錯覚してしまうことを恐れて、主が引き離されたのではないかと考えられます。さらにガリラヤ湖の東側は、これまで訪れたことのない場所でしたから、新たな宣教地として選ばれたのかもしれません。

私たちの人生にも、大きな転換点というものがあります。これまでの働きを止めて、新分野に出て行こうとする時、そこには期待があります。しかしマルコはその直後にガリラヤ湖の嵐が来たことを記録しています。

 

「すると、激しい突風が起こり、波が船の中に打ち込んできて、船に満ちそうになった。ところが、イエス自身は、ともの方で枕をして眠っておられた。」(マルコ37、38)

 

テンションの上がっていた弟子たちは、ガリラヤ湖の嵐に遭遇して、生存の危機を迎え、慌てふためいていました。誰でも人は試練に遭遇するまでは、本当の信仰がどれくらいあるのかを意識する事はできません。試練を通して初めて、私たちの目はイエス・キリストを見上げ、取りすがるのです。

 

②イエスは起き上がって、風を叱り、海に向かって、「沈まれ、黙れ」と言われると、風は止んで、大なぎになった。(マルコ4:39)

イエスが「沈まれ、黙れ」と言われたのは、もしかすると、弟子たちに対してではなかったかと言われています。彼らは「先生、わたしどもが溺れ死んでも、お構いにならないのですか」と叫んでいたからです。

試練の中で、泣き叫ぶ私たちの声を聞いて、主は「静まりなさい」と言われるのです。

 

③イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか」(マルコ4:40)

このガリラヤ湖の嵐が私たちに与えるメッセージは「不信仰による恐れ」であり、イエスは「信仰に立て」と伝えようとされたのです。

マルコによる福音書4: 35から5章にかけて(マタイ、ルカは8章)4つの奇跡物語が書かれています。

 自然界

 悪霊

 病気

 死

これは私たちが遭遇している人生における試練を象徴する4つの言葉です。イエスはこれらのサタンの攻撃を見事に撃退されました。

今、人間の力でどうすることもできない自然界の嵐でさえも静めることができるお方があなたと共におられます。この記録を書いたマルコは、当時ローマ帝国下に始まった迫害の中に生きるクリスチャンたちに、力強いイエスの姿を伝えたかったのではないでしょうか。

 

「ただ、疑わないで、信仰を持って願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに、揺れ動く、海の波に似ている」(ヤコブ1:6)

 

これはイエスの弟であり、迫害時代を生き抜いて殉教したヤコブの言葉です。

 

「キリストなき平穏な海を行くよりも、キリストと共に荒海の中を行くことが、むしろ数段勝っている」とはC・H スポルジョンの言葉です。

 

イエスが語られた①②③ 3つの言葉を心に留めて思いめぐらしましょう。

神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰