2025.5.11

「私の母とは」(マルコ 3:31〜35、ヨハネ 19:25〜27)

 

5月11日は今年の母の日です。今日は母の日に思うことという角度からお話しいたします。

① 1914年5月の第二日曜日に、「母の日」が大統領ウィルソンによって制定されました。米国の古き良き時代の遺産であったと思われます。遡ること10年、バージニア州のクリスチャン夫人ミセスジャービスが亡くなりました。多くの未亡人の家庭や貧しい人々のためにバザーをしたり、運動会をしたり、様々なボランティア活動をしながら、同時に日曜学校の教師として長く奉仕しました。1年後に記念式が開かれたとき、娘のアンナは母が育てたカーネーションを来会者に配りました。当時デパート王と言われたジョンワナメーカーはこの出来事を取り上げ、国会を動かしたのです。

母の日の期限は、ジャービス夫人の人格と祈りと奉仕でした。

 

②聖書の中の婦人たちの働きについて考える良き時です。アブラハムの妻サラの信仰、エリコの城でイスラエルの手引きをしたラハブの信仰、異邦人でありながら誠実に姑に仕えたルツのことなど思い起こします。マタイによる福音書の第1章に書かれたイエス・キリストの系図の中には、5人の女性の名前が出てきます。これらの人々の果たした役割なくして、

救い主、イエス・キリストは誕生しませんでした。

「信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさった方は、真実であると信じていたからである。」

「信仰によって、遊女ラハブは、探りに来た者たちを穏やかに迎えたので、不従順なものどもと一緒に滅びる事はなかった。」(ヘブル11:11,31)

これらの婦人たちの特徴は、強い信仰であり、待ち続ける忍耐であり、問題のさ中にあって、執りなす愛と言うことができるでしょう。

 

③さて、イエスと母や兄弟たちとの関係はどうであったでしょうか?

 

さて、イエスの母と兄弟たちとが来て、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。時に、群衆はイエスを囲んで座っていたが、「ご覧なさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。すると、イエスは彼らに答えて言われた、「私の母、私の兄弟とは、誰のことか」。そして、自分を取り囲んで、座っている人々を見回して言われた、「ご覧なさい、ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行うものは、誰でも、私の兄弟、私の姉妹、また母なのである」(マルコ3:31-35)

 

イエスは自分の家族を軽視しているように見えます。神学者ベンゲルは

「彼は母を軽んじるのではなく、父なる神を彼女よりも重んじるのである」と解釈しました。

 

実際、母マリヤ及び家族はイエスが預言者として人気を博すると言う事は、迫害と死を意味すると思ったのでしょう。そして伝道を止めようとしたのです。イエスは神の御心を行うためには、肉親とも別れることをここで告白しているのです。それはもうすでに十字架の道を歩いていたのですね。

こんにち私たちは自分の家族を大切にしながら教会生活をしているとは思います。しかし、人生の重大決心をしなければならないときには、神の御心を優先すべきだと主は語っておられます。

 

④さて、ローマカトリック教会の新教皇が決まりましたね。カトリック神学では「マリヤ礼拝」が重要な役割を果たしています。しかし聖書の中にはそのような記述はありません。私たちと神との間を執りなしてくださるお方は聖霊です。

「御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。なぜなら、私たちはどう祈ったら良いかわからないが、御霊自ら、言葉に表せない切なる呻めきをもって、私たちのために執りなしてくださるからである。」(ローマ8:26)

 

さて、その意味で「母の日」に私たちが思う事は「聖霊の執りなし」ではないでしょうか?肉親の母の愛と祈りから聖霊のお働きに思いが及びましたら、この日は大変深い意味のある日となるだろうと思います。

 

祝福が豊かにありますようにお祈りしております。

小田 彰